先駆者テイ・トウワが憂う、ダンス・ミュージックの現在「『便利=最高』ではない」
テイ・トウワが1年8カ月ぶりの9枚目のアルバム『EMO』をリリースする。高橋幸宏や小山田圭吾らMETAFIVEのメンバー全員のほかUA、高野寛、シュガー吉永、あの(ゆるめるモ!)など多彩なゲストを迎え、ミックスにゴウ・ホトダ、マスタリングに砂原良徳を配する完璧な布陣で、テイらしい歯切れがよくキャッチーで、しかも奥行きのあるエレクトロニック・ポップが展開されている。無駄なものは何も入っていないのに、豊かで広がりがある。時流に媚びないのに今の音になっている。カイリー・ミノーグを起用した旧曲のリメイクも見事な傑作である。
本作の公式特設サイトでは筆者によるかなり詳細なアルバム・インタビューが掲載されている。制作の経緯やコンセプト、テーマなどはそちらをご参照いただくとして、ここではそこから少しはみ出して、ここ最近のテイの創作環境や意識の変化を辿りながら、彼の表現原理や彼のフォロワーともいうべき最近の若いクリエイターたちに対する意見などに迫ってみた。(小野島大)
「孫に『これも爺ちゃんの曲なんだよ』って聴かせて、嫌がられたい」
ーーテイさんは制作環境がデスクトップからラップトップに変わったことが創作に大きな影響を及ぼしたとコメントされてますね。出せる音ややれることが絞られて、よりストイックになってきているといえるんでしょうか。
テイ:絞られていると同時に広がったとも言えますね。2002年ごろに『FLASH』というアルバムを作り始めた時からそういう制作態勢になったんですけど、それまではたくさん機材があって大量のレコードがある自宅でしか作れなかったんです。それが新幹線の中だったり飛行機の中だったり温泉旅館で湯上がりに浴衣着たままでも作れるようになってきた。フォークを作る時は必ずギターと歌で、髪の毛はロン毛で、なんて必要はないでしょ(笑)。なのでどういう作り方をしてもいい。そういう意味では全然変わってないですね。
ーー同様な環境で音楽を作る若い人も増えてきてますが、お話になる機会はありますか。
テイ:残念ながら話をすることはほとんどないですね。質問されれば答えるけれども……。
ーー若い人との交流自体がないってことですか。
テイ:そうですね。おっさん同士でいいやって割り切ってるのかなあ。最近はちょっと内向的というか内省的なのかもしれないですね。あとはバンド(METAFIVE)内で話すことで足りちゃってるし。まりん(砂原良徳。今作でマスタリングを担当)とかと新しい機材や音楽の情報交換したりね。若い人から聞くことはあまりない。今回ミックスをやってくれたエンジニアのゴウ・ホトダさんは僕よりも年上なんですよ。ああいうベテランの人ってスタイルが固まってて、ビンテージの機材ばかり使って「僕はこれでいいんだ」みたいな人が多いけど、彼は毎週のように新しい機材を導入して新しいことに挑戦している。彼ぐらいの大御所だとどんどん耳が衰えていって現役感がなくなっていくのに、未だにバリバリ現役感があって積極的で。だからゴウさんとやっていると、10年たってもこの人には追いつけないな、と思う。だから(ミックスを)分業してるんですよ。
ーーなるほど。
テイ:今の若い人はベッドルームで作ってベッドルームでミックスまでするのが普通じゃないですか。特に今のエレクトリックな音楽をやってる人は。経済的な要因もありますよね。そういう音楽はあまり売れないから、人に頼むような予算がない。そもそも人に頼むって発想そのものがない。自分でやらなきゃいけないと思ってる。いわばデフレ・スパイラルですよ。それは僕も同じ事情だけど、ここはゴウさんに任せた方が、ここはまりんに任せた方がクオリティ高いし、早いし、時間がそのぶん出来て他のことができるし。自分ひとりで悪戦苦闘してやるよりも、ゴウさんと温泉入ったり寿司食ったりして楽しくミックスやる方が、結果的には生産性を上げられている気がするんですよね。僕はお金ではなく、1曲でも多く自分の作る曲を聴きたい、というのが一番のエゴであり欲求かもしれないですね。あとは……孫! 孫に「これも爺ちゃんの曲なんだよ」って聞かせて、嫌がられたいんですよ(笑)。爺ちゃんもう勘弁してよ、って言われたいんです(笑)。
ーー(笑)。まだ息子さんは結婚もしてないのに。当分先の話ですね。
テイ:そうですね(笑)。その時に音楽がコミュニケーション・ツールであるといいなと思いますね。でもラッキーなことに、20数年前に作った曲は未だにクラブでかかっても恥ずかしくないし、たまにラジオでもかかってる。それは嬉しいですね。時空間を飛び越えたような気がして。
ーーあとに残ることとか、考えて作ってるんですか。
テイ:考えてないですね。死んだあとのことなんてどうでもいいです。でも一過性の音楽を作りたいと思ったことも一度もない。今売れたい、今すぐ売れたい、来年になったらダサいと言われてもいい、と思って音楽を作ったことは一度もないです。
ーーファッション雑誌のグラビアをめくって一瞬ハッとして、でも次に見る時にはもう跡形もなく色あせている、ということがありますよね。でもそういう一瞬の刺激みたいな音楽の魅力もあると思うんです。
テイ:そうですね。でももうあまり興味はないですね。いつぐらいからだろう……軽井沢に引っ越す前からだから、2000年より前からかもしれないけど……尖ってるものは誰でも作れるんじゃないか、みたいに思えてきたんです。カッターでちゃっちゃっとやれば、尖ってるだけのものはいつでも作れる。でも角をキレイに丸めていったものは……いま彫刻に喩えて言ってますけど、(音楽を作るのは)彫刻を続けている感覚に近いと思うんですよ。それはDeee-Liteを始めた時から変わらないですね。
ーー削って削ぎ落としていく作業ってことですか。
テイ:そうですね。とも言えるし……だからファッション雑誌をめくってハッとして、次に見たらまた違う聴こえ方があるとか、そっちの方に興味があるのかもしれない。新しい音楽をインプットしてくれる人もいないし、サブスク(Apple Musicなどサブスクリプション型の音楽配信サービス)も入ってないし。新しい音楽と出会いたくないとも思ってないですけど……でも送られてくる音源の資料とかに「激ヤバ」とか「今年最高の」とか書いてあるじゃないですか。え、どこが? みたいなのが圧倒的に多いから。なのでもういいやと。自分の感覚に自然に引っかかるような、それが今のものでも昔のものでもいいんだけど、そういう「いま自分に縁がある音楽」を聴いてる感じですね。アナログのジャケ買いとかしてますよ未だに。
ーー若いころは世間の評判とかチェックして、積極的に情報を求めて。
テイ:ですね。それがいつの頃からか、「ニューヨークだったらいまどこのクラブがイケてるんですかね」とか聞かれて「ニューヨークに最近行ってないんだけど」と答えるようになってから、なんとなくズレを感じ始めてましたね。
ーーいつごろですか?
テイ:ニューヨークから帰ってきたのが95年で、2000年には軽井沢に家を建てて越しちゃったから、その間ぐらいですか。そのころからジャーナリズムが僕に求める答え……お勧めの音楽から僕がズレてきた気がします。もちろん週末のDJはありましたけど、それも4年前にレギュラーのDJはやめて。というのも、レクサスの音楽監修(クルマのレクサスが東京・青山で運営するスペース「INTERSECT BY LEXUS」のBGMをテイが選曲している。 https://www.lexus-int.com/jp/intersect/tokyo/partners/towa-tei/ )をやってるんですけど、そこでは「オトナのラグジュアリー」というテーマがあるので、大きな篩としてそこに引っかからないといけない。キッチュで尖った音楽は外してるんですよ。そういうのも関係してるかもしれないですね。もちろんキッチュでノイジーでピコピコした音楽は今でも大好きですが、そういうのはレクサスのMIXには入れないので。
ーーなるほど。
テイ:レクサスは仕事ではあるけど、待ってた仕事というか、僕はこういうことをやりたかったんだなと思います。クラブで若い子相手に盛り上げるという仕事に疲れ始めてからも、5年10年と流されるようにやってきたけど、それを4年前に辞めて、今はここぞという時にしか(DJを)やってない。リリース・パーティーとか温泉地のイベントとか、そういうのしか受けてないですから。