>  > 岩里祐穂、作詞家としての歩みと矜持

『Ms.リリシスト〜岩里祐穂作詞生活35周年Anniversary Album〜』インタビュー

岩里祐穂が語る、作詞家としての歩みと矜持「時代を超える言葉を編み出したい」

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 堀ちえみ、中山美穂、今井美樹、坂本真綾、『創聖のアクエリオン』や『マクロスF』など人気アニメのテーマソング、さらにはももいろクローバーZや花澤香菜まで。時代やジャンルを超えて様々な歌手やアーティストに歌詞を提供してきた作詞家・岩里祐穂の活動35周年を記念したコンピレーションアルバム『Ms.リリシスト~岩里祐穂作詞生活35周年Anniversary Album~』がリリースされる。

 今回のインタビューでは、80年代から現在に至るまで、また、歌謡曲、J-POP、アニメ、現在のアイドルシーンなど様々なフィールドにわたって作品を手掛けてきた彼女に、それぞれの時代性と、作詞家としての考え方や価値観について語ってもらった。(柴 那典)

「キャッチーさや語感が求められていた」

――今回の作詞生活35周年記念アルバムのお話は、どんなところからスタートしたんでしょうか?

岩里:きっかけ自体は、昨年秋にプロデューサーにお話をいただいたことでした。いろんな世代のいろんな時代で「岩里祐穂」という名前を目にしていただいた方がいらっしゃると思うんですね。今井美樹さんで私を知ってくださってる方もいれば、坂本真綾さんで知ってくださった方も、『創聖のアクエリオン』で知った方も、ももクロで初めて知った人もいる。でも、それを全部知ってる方がどれくらいいらっしゃるのかわからなかったので、一度私の「詞」という括りで並べてみたものを聴いてもらいたいと思うようになったんです。

――たしかに、こうやって並べてみると、時代も曲調もジャンルもバラバラですね。サウンド面の統一感は全くない。

岩里:ははははは。バラエティというか、カオスですね(笑)。だけどその中で、私としては一本筋を通して歌詞を書いてきた。そのあたりを楽しんでもらえれば面白いかなと思いました。

――岩里さんはシンガーソングライターとしてデビューされたわけですよね。作詞家としてのキャリアはどんな風に始まったんでしょうか。

岩里:シンガーソングライターとしては、デビューした途端に「あ、もうやめよう」と。人前に立ったり、写真を撮られたりすることがあまり好きじゃなかったので、向いていないと思いましたね。シンガーソングライターの活動の中でも、自分は詞が書きたいということがわかったので、一年ですぐに辞めました。そこから堀ちえみさんの「さよならの物語」を書いて、名前も岩里祐穂にして、「作詞家としてやっていこう」と決意したんです。

――当時は80年代前半で、アイドル歌謡曲全盛の時代ですよね。作詞家にはどんなものが求められていたんでしょうか。

岩里:私は新人でしたから、どうインパクトのあるものをどうプレゼンするかということだけを考えていました。「さよならの物語」は「僕の天使さ 君はネ!って」の音感、そこに面白みがあるということでだけで採用していただいたんだと思います。そういうキャッチーさや語感が求められていたんじゃないでしょうか。

――この頃はどんな制作状況だったんでしょう?

岩里:堀ちえみさんの時は、新人にもかかわらずすぐにシングル3曲を任せてくださったんです。ちょうど彼女が『スチュワーデス物語』でブレイクした頃なんですけれど、「さよならの物語」「夏色のダイアリー」「青い夏のエピローグ」の3部作という形だった。あの頃はアルバムの曲も含めて、ディレクターさんが「この人でいこう」と思った人とやり取りして作っていました。他の人たちもみんなそうでしたね。今の時代のようにコンペ形式じゃなくて、ディレクターが「次はこんなのがほしい」と発注をして、書いてきたものがダメだったらお互いに顔を見て話しあって作っていく。私は新人だったので、何もわからないところからいろいろ教えていただきました。「大サビは、大きめのことを書いてごらん」とか「物事の真理を書いたらいいよ」とか。そんなことを教えてくれるようなディレクターがちゃんといたんですね。

――その頃の時代の空気、歌詞の言葉に求められていた感覚も今と違いますか?

岩里:違いますね。時代によって空気感は全部違います。

――80年代はどんな感じでしたか?

岩里:例えば、化粧品のコマーシャルソングで「赤道小町ドキッ」とか「君に、胸キュン。」とか、ああいう曲が80年代的ですよね。そういうキャッチコピーの時代、インパクト重視の時代だったと思います。

――なるほど。ある種の広告的なキャッチコピーとして歌詞が機能していた。

岩里:と、私は思います。それに、アイドルの時代だったと思うので、「渚のはいから人魚」のようなインパクトがある歌詞を書けないと浸透していかなかった。そういう中で、私はあまりうまく順応できなかったように思いますね。

――どちらかと言うと、当時の岩里さんはそういうキャッチフレーズ的な歌詞は得意ではなかった。

岩里:そうですね。まだ20代の頃で、リクエストされるものに応えようと自分なりにインパクトのある言葉を探して書きましたけれども。ただ、その中で、「BIN・KANルージュ」という曲を書いたんです。それは『魔法の天使クリィミーマミ』の挿入歌で、初めて書いたアニメの歌詞でした。最近一緒にお仕事をしている中川翔子ちゃんが、中学生時代にこの曲を聴いていたらしくて。「ひとりぼっちですごく寂しい思春期を送ってたんだけど、この歌で私は本当に救われたんです」と数年前に言われたことが、私はとても嬉しかったんですね。その時の驚きも、このアルバムを作るきっかけの一つになっています。まだまだ未熟だったと思っていた80年代の仕事も、人にちゃんと届いてたんだって。そこから、もう一度若い頃の歌詞を振り返っても悪くないかなと思えたんです。

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