連載:クリエイティブの方舟(第4回)
水溜りボンド・カンタ×奥山大史による対話 “似て非なる”ものづくりのスタイルと思考のルーツや変化

400万人超えのYouTube登録者を抱えるチャンネルのブレーン的役割を担い、「佐藤寛太」名義でミュージックビデオなどの映像作家としても目覚ましく活躍する水溜りボンド・カンタと様々な業界のクリエイターが、クリエイティブの源流を含む創作論について語り合う連載企画「クリエイティブの方舟」。
第4回は、映画監督の奥山大史が登場。奥山は、昨年公開の『ぼくのお日さま』で商業映画デビューを飾ったほか、米津玄師・乃木坂46・森七菜らのMVも手がける注目の若手映像監督だ。また、カンタにとって奥山は、高校&大学の後輩にもあたる。そんな奥山から見た“カンタ”とは、どのような存在なのか? 学生時代のエピソードを織り交ぜながら、映像制作についてたっぷり語ってもらった。(編集部)
怒られた学生ほど出世する?

ーーお二人のファーストコンタクトはいつですか?
奥山大史(以下、奥山):高校が一緒で何度か見かけていました。大学で同じ学部に入ったころには有名になっていて……。
カンタ:そんな見え方なんだ。僕のことをどんな感じで見てたのか、この視点からはなかなか聞かないので新鮮ですね。
奥山:カンタさんが卒業された翌年は、ファンの人も学部へ入ってきました。「カンタさんが通っていたのを知って、受験しました」と言っているのを聞いたことがありますね。
カンタ:マジか! 嬉しいなあ。
奥山:僕は、カンタさんとゼミやラボが被っていなかったので、一緒に何かを作る機会はなかったんですけど、映像を作っている先輩として、とても刺激を受けていました。
カンタ:よく、『アスタジオ』(=青山学院大学の文化複合施設)に来ていたよね?
奥山:はい。見かけると、「あっ、いる……」と思っていました。
カンタ:俺がいた場所は、ほとんど学生がいなかったから。
奥山:たしかに。あの部屋には「これを作りたい!」みたいな熱量を持った人しかいない空間でした。
カンタ:それこそ、前回対談した雨無(麻友子)さんとかも、あそこでよく話したりしてた。
奥山:そうだったんですね。あの部屋で、僕が印象に残っているのは、カンタさんがある日、ホワイトボードに動画の企画案をバーっと書き出していて……。僕が急に「企画、尽きないんですか?」と話しかけたんですよ。初対面なのに。でも、カンタさんは優しく答えてくれたんです。
カンタ:覚えてる! たしか「大変なんだよ!」って返したはずです。当時は「写真撮ってください」と言ってくる後輩はいたけど、そういう質問をしてくれる後輩はいなかったから、純粋に嬉しかったんだと思う。
奥山:あそこって、荷物を置いて帰ったらダメなの知ってました?
カンタ:それでめちゃくちゃ怒られたことが何度もあるよ(笑)。
奥山:僕も怒られました(笑)。ただ、卒業したあと、とあるラボの授業に呼んでもらった時、先生が「『アスタジオ』で怒られた学生ほど出世してるんだよ」って言ってました。カンタさんという名前は出していなかったけど、「カンタさんのことなんだろうな」と思いながら聞いていたんです。
カンタ:『アスタジオ』で夜遅くまで作業して、朝早く来て、授業が始まるまで椅子で寝て……みたいな生活してたもん。朝になったら一緒に会社やってるメンバーたちが「2限の時間だぞ!」って起こしに来てくれたりして。なんであんなに焦ってたんだろうと思うけど、多分不安だったんだろうな。
奥山:分かります。僕も大学生のころは、強い焦燥感がありました。“何か作らないと”って。それこそ、じわじわと就活も始まっていくじゃないですか。僕らがいた総文(=総合文化政策学部)って、ものづくりの話とかはするけど、就職先としてそこを目指す学生って案外少なくて……。
カンタ:入学した時は、「僕、クリエイティブです。だから、下駄で学校来ちゃいます」みたいな奴らがいっぱいいるのに!(笑)。気づいたらひとりぼっち。金髪で「就職なんてしないぜ!」って感じの人ほど、就活が始まると「銀行受けてます」みたいに言い出すから。
奥山:ある時、いきなり黒髪スーツでピシッとなる瞬間があるんですよね。それを見て、「やばい、やばい、もうそんな時期か。なんか作んないと」って焦りました。
カンタ:自分のなかでは道が見えていたとしても、いろいろ考えちゃうよね。これが本当に正解なのかな? って。僕は、「レールに敷かれた人生は歩きたくない!」と思うタイプではなかったから、余計に。
奥山:そう考えたら、僕は結果的に、レールに乗っかった感覚があります。自分が作りたいものが映像ということもあって、作りたい映像を作り続けるために会社へ入った……みたいな。
カンタ:僕も、映像作家として生きていくとなったら、そうしていたと思うよ。もちろん、それで成功してる方もいるわけだけど、フリーでいきなりやっていくのは無謀に感じてしまうから。僕は、うねりに巻き込まれたかったけど、うねりの方から「君はもう入れないよ」と言われている気がしたから、「せめて、休学だけはさせてください!」って感じで。
奥山:活動の仕方を模索するために休学したんですか?
カンタ:登録者数は増えてきたんだけど、不安だったんだと思う。3年生までにほとんど単位を取り終えていたから、ゼミだけを残して。
奥山:あれだけYouTube投稿をしながら、3年生までにほとんど単位を取り終えていたのはすごいですね。当時、トミーさんはどんな感じだったんですか?
カンタ:トミーはね、マジで不安を感じてなかった。これ、本当にすごいのよ。
奥山:監督業はなんだかんだで孤独なので、そういう存在がそばにいてくれるのって羨ましいです。「何とかなるっしょ!」と言ってくれる人が、ずっと隣にいてほしいと思う瞬間が多々ありますから。
カンタ:たしかにね。助けられた部分もある。トミーは昔から、「カンタがやれば、絶対に成功するから大丈夫」って言ってくれるんだよ。たとえば、俺が「明日の企画決まってない! どうしよう!」って焦ってる時に、占い師みたいに「大丈夫。明日絶対に思いつくよ」って。それに、イライラすることもあったんだけどね。でも、自分には到底真似できないことだから、バランスが良かったのかな。
奥山:ものづくりをする過程って、どうしたって感情の浮き沈みがあるじゃないですか。ルーティンみたいにして作ったって予定調和なものしかできないし。その過程を並走してくれる人がいるのはすごく憧れます。
カンタ:地球上で唯一無二の関係性ですからね。一緒に並走する人がいるのは、責任が伴うことでもあるわけだけど。
奥山:そっか。「疲れたから休もう」ができなくなるんですもんね。
カンタ:そうそう。
奥山:映画監督って、1年に1本新作を出せばかなりハイペースだと言われる世界なんですけど、カンタさんは1年に何本も映像を世に出しているわけじゃないですか。
カンタ:そうだね。出してる時は、年間500本とか。夏休みは、「1日2本アップします!」とかやってたから。
奥山:すごいですよね。同じ映像制作でも、似て非なる部分だなって。






















