GWにじっくり読みたい車のトリビア  元々は国営企業!? 「フォルクスワーゲン」日本上陸70周年

フォルクスワーゲン日本上陸70周年

当初は国営企業としてスタート

 質実剛健なクルマ作りで定評のあるドイツのVW(フォルクスワーゲン)社。その創業は第二次世界大戦のころまでさかのぼる。

 当時のナチス政権での、時速100kmで大人3人と子ども2人が乗車可能で、空冷エンジン、燃費は7リッターの燃料で100km走る(約14.3km/L)、価格は1000ドイツマルク以下という「国民車」構想を受け、開発がスタートした。

 その設計を、実はスポーツカーのポルシェで有名なフェルディナント・ポルシェ博士が手がけている。上記の国民車構想を受け、1937年にドイツ国民車準備会社が設立された。当時は国営企業だった。しかしながら、世に出たのは国民車として開発が進んでいたキューベルワーゲンなどの軍用車としてだった。

日本上陸時、最初は108台しかない貴重なモデルだった

 歴史は進んで戦後、日本への導入である。本題でもある日本へ正規輸入が開始されたのは1953年。1953年といえば、日本では初のテレビ放送が開始された年だ。日本で最初に輸入されたのは、タイプIが105台、タイプIIが3台の108台。日本へ導入されたタイプIはリアガラスにセンターピラーのない「オーバルウィンドウ」以降のモデルで、スタンダードとデラックスの2グレード。

 価格は前者が74万円、後者が80万円で、大卒初任給が7,650円だった時代である。その後1960年代には「カルマンギア」の販売が開始。この「カルマンギア」の車名は人名に由来する。

 ドイツ人のカルマンさんが企画し、イタリア人のギアさんがデザインしたことにから。正確にはコーチビルダーでもあったヴィルヘルム・カルマンの架装会社の企画で、イタリア人のジアッキント・ギアが起こしたコーチビルダーのカロッツェリア・ギアのデザインになる。カロッツェリア・ギアは戦前には『アルファロメオ6C』などのデザインを手がけていた。

 余談だが1996年に発表された初代『メルセデス・ベンツSLK』や2006年の日産『マイクラC+C』はカルマン社が手がけている。

 

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