【特集】AIと創作(Vol.2)
AIの発展に必要なのは「世界を体験し、老いることができるか」 AI研究者・三宅陽一郎と紐解く“AI進化論”
生きて、老いる。不安定なAIを創るために
三宅:AIが変わるとはどういうことなのか? そこを掴まえられたらAI研究はぐっと進むはずです。重要なのは、単純に、インプットに合わせてAIのアウトプットが変わるということだけではありません。それだとこの小説のアンドロイドと同じです。そうではなく、AIの思考の構造自体が変わることが必要なんです。
ーー構造自体ですか。
三宅:昨日見た映画や、昨日話した友人の一言で考え方の根本が変わること。毎日構造がリビルドされて、動的に生成されていくこと。私たちはそういう存在なんです。誰かと出会った体験を巻き込んで自分が作られていく。吸収したくなかったものも含めて。たとえば、食べることがその象徴ですよね。世界を吸収して、自分が変わっていく。しかし、ロボットは削れていくだけです。AIは食べることができない。生まれ変わり直すことはできない。自分を相手に刻み込むことができないし、相手を自分に刻むこともできない。精神そのものを作り上げるためには、どこかのタイミングでこうした存在の変容を実装できるようにならなければならないでしょう。
ーーいまのAI研究は、三宅さんがお話したような方向に進んでいるのでしょうか?
三宅:いえ。まったく異なります。現在の第3次人工知能ブームで行われているのは、知能の一部の機能の再現です。たとえて言うならば、いまのAI研究は30歳のアルブレヒト・デューラーを作ろうとしています。デューラーという画家の30歳の機能を再現したAIが完成したぞ、と。「では、40歳のデューラーはどうするんですか?」と尋ねてみる。おそらく返ってくるのは「もう一回作ります!」という言葉でしょう。これはおかしいと私は思うんです。
ーーたしかに、人間の知能の再現とはいえなさそうですね。
三宅:第4次ブームが来るとしたら、それは、私たち人間の知能の構造の自動生成の実装を目指す研究になると思います。 0歳のAIが生まれて、ぼんやりと碁盤の目を理解する。失敗を重ねながら、徐々に効果的な戦略を見つけていく……このように発達していくAIを作れたとき、人間の知能の成長を再現できた、つまり人間の知能の再現が達成されたということになる。しかし、人工知能研究は、ある時点の人間の知能を再現する「横からの再現」をずっと繰り返しています。
ーーなぜ現在のAI研究は「ある時点の人間の知能の再現」という研究プログラムを採用しているのでしょうか?
三宅:ある時点の人間の知能、たとえば大人の知的な思考能力をそのまま再現させたい、という欲望があるからです。しかし、人間というのは最初「うんち」や「バケツ」しか言えない時期があるじゃないですか(笑)。でも今のAI研究では、「民主主義」という言葉を最初からAIに覚えさせようとしている。いきなり成人の知能を作ろうとしているんです。
ーーどこかいびつですね。
三宅:いまのAIは「りんご」について知識があり、「つるつる」は知っている。しかし、りんごとは何か、つるつるしたものがどういうことかは理解できていない、つまりグラウンディングができない(=現実と結びついていない)んです。AIが世界を理解していく仕組みを作って初めて人間の知能を再現したということになるはずです。それに気づくことが1950年から始まる人工知能の研究の一つの終焉となるでしょう。しかし、発達心理学者のジャン・ピアジェが指摘したような、幼児の発達をAIで再現しようという試みはない。囲碁AIは完成した、人間の能力を超えた、と言うけれど、囲碁を打つ人間の知能を再現できたことにはなっていないと思います。人間が絵を覚えていく過程をAIに実装させようという人はいない。けれど、子どもがぐちゃぐちゃの絵を描いていって、小学3年生くらいになると、上手い子になると大人顔負けの絵を描いたりしている、その過程を再現することが知能の再現ということだと思うんです。
ーー言い換えれば、AIには生きてきた歴史が存在しないということなんですね。それがおそらくAIへの虚しさを生んでいる気がします。一緒の人生を生きてこなかったことの寂しさがある。
三宅:たしかに。もう一つの悲しさは、いまのAIは老いていくことがない、ということですね。ターナーのように、晩年になると、ぼやっとして、内容が分かりづらい絵になっていく。小説家も、あんなに設定にこだわっていた人が晩年に適当なファンタジーを描いちゃって、どうなっちゃったんだろう、と思われることもある。でも、晩年のターナーや、年老いた小説家の作品もそれはそれでとてもいいものなんです。こうした老いをAIは再現できていません。AIは消していくことが下手です。もちろんメモリーを消去することはできる。けれど、人間の忘れ方はメモリー消去とは違いますよね。絵が下手になるということは、CPUパワーが半分になるってわけじゃない(笑)。 AIと老いの研究は世界中でまだ誰もやっていない。研究する人はいつかでてくるでしょうね。こんな風に、人工知能研究は隙だらけで、研究の可能性に満ちているんです。
ーーAI研究は、もうすでに賢い人があらかた研究し終えていると思っていました。AIの老年学はすごくおもしろいですね。
三宅:文系の人がAI研究にもっと入ってくれればいいと思います。現在のAI研究の中心は問題を解決するというエンジニアリングの発想なんですよね。けれど、人工知能によって知能を理解する、というサイエンス的な態度でのAI研究にはまだまだ可能性だらけです。人工知能という学問は黎明期なんですよ。実はまだスタート地点の前で盛り上がっている。第4次ブームからが本番か、或いはその先か。いまのAIは全然脅威じゃない。
ーー成長するAIが100年生きたら怖いですよね。
三宅:怖いですよね(笑)。成長して、人工知能が変わっていくとしたら、今日善だったものが明日悪になっていることもありえる。でも、それが知能なんですよね。もちろん、老いを実装してどんどん弱くなっていったらおもしろいです。弱り方がおもしろいわけです。あんなに無敵だった選手がタイトルを取れなくなっていく。毎回解説者ですら思いつかない技を出すあの無敵な人が……。でもそれは単純に悲しいことではないんです。その人はもっと競技の奥深いところに行こうとしているのかもしれない。
ーー自分の研究トピックの一つに「反出生主義」があります。私たちの人生には避けがたい苦痛があるにも関わらず、私たちは同意なく生まれてきてしまったということを指摘する立場です。私はこの立場に非常に疑問を持っていました。今回、お話を聞いて、もしかすると、AIを作ろうとする試みの中で、私たちがなぜ新しい人々を生み出したいと思うのか、そして生きることそれ自体の価値すら明らかになっていくんじゃないか、という予感があります。
三宅:いま活躍している棋士の藤井聡太さんも30年前に生まれていたら、いまの藤井聡太ではなかった。以前の時代にはAI将棋とともに強くなる、というルートはなかった。芸術もそうで、宮沢賢治はあの時代じゃないと宮沢にはなれない。太宰もあの時代じゃないとあの作品を書けなかった。私たちはどうしようもなく時代の中で生まれます。私たちはある時点の世界を巻き込みながら、他者を巻き込みながら、成長して老いていく。そこに生きることのおもしろさがあるような気がします。
ーーAIを研究する、その創造性を考える、ということは、いま私たちがこの時代にこの場所で生きているということ、それ自体の価値が研究されていくことにもなるのだと思いました。三宅さんとお話して、三宅さん自身にも今回変化を与えられたらとてもうれしいです。ありがとうございました。
三宅:変化、あったかもしれませんよ(笑)。ありがとうございました。
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