日本のメタバースが抱える課題とは? 弁護士と官僚、それぞれの視点からみた「メタバースにおける法整備の重要性」

弁護士と官僚に訊く“メタバースと法律”

Web3は所有の時代? NFTが秘める本当の価値とは。

ーー法律だけではなく、経産省も絡むことによって「Web3の時代における経済活動」にまで話が及んでガイドラインが作られていく、というのは非常に面白いです。

上田:インターネットが普及して30年ほど経ちますが、これまではリアルのお金に換金する、もしくはリアルのお金を動かすという前提だったので、この30年間で流行ったビジネスは「広告」と「コマース」にとどまったのかなと思います。ただ、バーチャル空間上での経済圏が醸成されていくと、バーチャル空間内にだけ適用されるモノの価値も高まってきて、α世代と呼ばれるバーチャルネイティブな世代にとってはその経済圏のなかで生まれるものを保護してくれる法律がより必要になってくるはずです。

 バーチャル上の経済圏をどうやって法的に保護するかというと、メタバース内におけるそれぞれの「バーチャル・プロパティ」がそれぞれデジタル資産としてアカウントに紐づいて、ブロックチェーンで関連付けされながら、受け渡しの際には所有者が履歴として残る、ということになると思うのですが、先日はその場合のブロックチェーンに書き込まれた個人情報をどうやって保護するか、といった議論にも発展しています。

道下:この上田さんのお話、個人的にもすごく興味深くて。先ほどお話ししたスマホを見る時間のほうが長くなったという状態って、僕は極めてWeb2の時代を象徴する話だなと思っていて。自分なりにWeb1とWeb2とWeb3について考えてみたんですけど、一度話してみてもいいですか?

ーーぜひ。

道下:一般的にWeb1の時代はブログ、Web2の時代はSNS、Web3はメタバースと言われてます。ただ、私なりにもう少し考えてみると、Web1の時代は情報がないから知りたいという欲求が高く、acceptとreadーー「受容」することが前提でした。Web2の時代はwriteとspeakーーつまりは書く・話すことでみんなが知っていることを共有することが是とされた。そして、Web3の時代はOwnedーー「所有」が重要なのではと思っています。Web3については「中央集権からの脱却」や「非中央集権型」とよく言われますが、なぜ中央から権利を分散したいのだろうと考えたとき、おそらく自分たちのものだと言いたい、そういえる環境を取り戻したいのだと考えるようになって。各人がオーナーになっていく、所有していることを証明するあらゆる技術が適用されるメタバースや「バーチャル・プロパティ」に関する議論を重要視しているんです。

――なるほど、面白いですね。

上田:それで言うと、2016年ぐらいから音楽をレコードで所有することへの機運が高まっていることも紐づけて考えられそうですね。音楽ストリーミングや電子書籍がこれほどワールドワイドに広がって手軽に所有できるようになりましたが、自分が好きなコンテンツをみんなで所有し得るようになってくると、それをモノとして自分の手元に置いておきたいというのが本能的に高まっているのかと。Web2の反動で人間の根本的な欲求みたいなところが元になってそういった現象が起きているような気もします。

――お2人の話を踏まえると、Web3の時代はデジタルのモノに所有権などの情報が書き込まれることで、そこに思い出が紐づくということも考えられそうですね。だからこそ、所有して見せたいという欲求が高まるのかも、と。

道下:NFTは固有性や取引可能性にフォーカスが当たりがちですが、実際にNFTにおいて価値がある要素というのは「歴史を保存できること」なんです。人間はこれまでも、歴史に価値を感じて歴史にお金を払ってきたわけで、50年もののウィスキーが1000万円を超えたり、100年もののワインが何万何千、何億円という価値になるわけです。メタバースという場所がただの空き地だと人は来ないけれど。そこにコンテンツがあれば人は来るし、そこで作られたものや積み重ねた歴史はNFTとして残っていく。NFTはデジタルデータ上にヴィンテージ性を付与することができることが重要なのだという点に、もう少しフォーカスが当たると嬉しいですね。

――場所があって、そこに人が集うことで文化が醸成され、歴史が生まれ、価値が付与されていく。ただ、最初にあった場所やもの、最初にいた人が「本当に最初からあったのか・いたのか」という真贋を問ううえで、NFTがある種の鑑定書になる、という考え方ですね。

道下:おっしゃる通りです。

「バーチャルシティガイドライン」に記載された「バーチャルシティ宣言」

ーー街と文化の視点といえば、「バーチャルシティガイドライン」には景観に関する著作物の映り込みなどについての対策なども含めた「場所についての権利」に関する議論がありました。メタバースにおける「バーチャル渋谷」などの街に掲げられる広告については、現行法と同じガイドラインで規制されていくと思うのですが、いわゆる歩いている人や落ちているものなどの「風景」や「居たくないけど居る人」「写り込ませないようにしているけど写り込んでしまうもの」といったように、漂白されないからこそ見ることのできる景色を含めて“街”といえるものだと考えていて。このあたりについてお二人はどのようにお考えでしょうか。

道下:これは僕たちもすごく考えているテーマで。自分自身の考えとしては、メタバースの街は「漂白されなくてもいい」と思っています。リアルの渋谷でも、やることないけどとりあえずハチ公前にいる、という人たちもいるわけですし、都市構想的にも最初はキラキラした街づくりを目指したかもしれませんが、現実には色んな人と文化が重なり合った場所になっているわけです。

 恐らくメタバースも、行政や企業が主導しているものは最初こそキラキラして見えるかもしれませんが、人が増えて歴史が進んでいくにつれて、漂白されないがゆえの文化は生まれていくと思っていますし、そこを各ユーザーに押し付けると、一気に可能性は萎んでしまいそうな気はします。あくまでプラットフォーマーは一定のルールメイクしたうえで場を提供して、公序良俗に違反する際のペナルティは定めたうえでの運用を前提としますが、そのルールのうえでどう遊ぶか、その場所をどう使うかは各ユーザーの意思に委ねて進化していくべきだと考えています。そこは時代が進むなかで、リアルの街と同様に、漂白したくてもできないような状況が生まれてくるのではないでしょうか。

ーー“なんとなくいる”人が増えることでUGC的に文化が生まれる、という発想は面白いですね。

上田:私も、漂白された街には人もコンテンツも集まらないと考えています。そのうえで、行政側としては環境整備も必要だと言いたいので、そこのバランスをどう取っていくかというのが重要でしょうね。それは場所によっても変わると思っていまして、たとえば渋谷ですと、元々が賑わっている地域だからこそ勝手に人が集まってきたり、元々閑散としている地域は衆目を集める施策を取らなければ人は来なくなったりといったように、地域の特徴に応じたデジタルツインのあるべき姿は変わってくると考えているので。そういった意味で、もしかすると先々には「漂白された街」のほうがいい場所も生まれてくるのかもしれませんが、可能性を削がないようにはしていきたいですね。

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