メタルギア畑でつかまえてーーファントムを描く短編小説「『Metal Gear Solid V: The Phantom Pain』をプレイして」

メタルギア畑でつかまえて

アメリカの帝国主義的拡張政策を、毒(ヴェノム)抜きで批判する

 ジャミル・ジャン・コチャイが『MGSV:TPP』を題材とした短編の執筆において二人称を採用し、キャラクターが兵器を上手く扱えない展開を描くことによって、ゲームプレイヤーや小説読者のアインデンティティに疑問を投げかけ、ルーツを希求する意思を効果的に表現していることをここまでに見てきた。この分析をさらに深めるための補助線として、『MGSV:TPP』に潜むアメリカの帝国主義及び拡張主義を分析したビデオゲーム研究者ソラヤ・マレイ(Soraya Murray) の2018年の著作『ビデオゲームについて──人種、ジェンダー、空間の視覚的政治学(On Video Games: the Visual Politics of Race, Gender, and Space)』は言及に値する。マレイは同著の一章を『MGSV:TPP』に割き、主人公スネークが高性能双眼鏡やGPS装置や武器のスコープを駆使して一方的に敵を視認し、土地をマッピングすることを、「帝国主義的拡張(“imperialist expansion”)」と結びつけて論じている。『MGSV:TPP』のアフガニスタンは、アメリカの「暴力的な捕食者の眼差し(“the violent predatory gaze”)」によって捉えられており、搾取され、手懐けられるべき土地として登場するのだとマレイは述べている(Murray 181)。

 しかし、マレイによる議論を無批判的に受け入れるわけにいかない。というのは、小島秀夫自身もインタビューで述べているように、MGSシリーズはアメリカの軍事的支配性や帝国主義的拡張政策を批判してきたからである。2014年のビデオゲーム『Metal Gear Solid V: Ground Zeroes』に関するインタビューにて、小島は対テロ戦争に邁進した米国の世界的覇権に言及し、「これまでの私の物語は常にこれに疑問を投げかけ、批判さえ行ってきたのかもしれません」と述べている。続けて、グァンタナモ収容所での米軍による捕虜拷問事件をゲームの中で採り上げようと決意し、ハリウッド映画が賛美する米軍像とは異なる表現をビデオゲームで追求することによって、現在の出来事に対する別の観方を提供したかったとも発言している(Parkin 7, 8段落)。小島が言うように、MGSシリーズはアメリカ合衆国なるもの(シリーズの文脈においては「愛国者達」と呼んでも良い)に疑念を投げかけ、批判的視座からの提示を試みてきたのであり、それは『MGSV:TPP』においても同様である。マレイの議論ではスネークが所属する組織「ダイヤモンド・ドッグズ」とアメリカ合衆国が混同されているところに問題があり、アメリカの帝国主義的覇権への復讐を目論見さえする同作品の批評性を軽視していると一旦は言えるだろう。

 ところが、マレイによる『MGSV:TPP』論の最大の強みは、まさにその「ダイヤモンド・ドッグズ」とアメリカを混同した点にある。『MGSV:TPP』においてアメリカなるものへの報復心をたぎらせたスネークたちは、アフガニスタンやアフリカを転戦し、現地の資源・兵器・人材・動植物などを(ときに保護の名目で)回収利用し、かつての列強国の植民地支配をなぞりつつ組織の飽くなき肥大化に邁進し、捕虜への拷問に手を染め、異分子の口を封じ、やがて核開発までも可能としていく。アメリカへの報復の途上で、報復を試みるはずの者たちがどういうわけか報復対象へと接近し、その活動規範にアメリカと同様の軍事的支配や帝国主義的拡張及び情報統制が組み込まれていく過程を『MGSV:TPP』は描いている。つまり、マレイによる議論は、アメリカの「帝国主義的拡張」への批判に際して自らもその「帝国主義的拡張」の手法を採るヴェノム・スネークたちが、毒(ヴェノム)をもって毒(ヴェノム)を制す、という自家撞着に陥っている側面を適切に捉えているのである。

 ここにおいて、コチャイの短編が二人称を採用し、作中の「あなた」が兵器を上手く使いこなせないことの意味はより一層明らかになる。敵と味方、西洋と非西洋、アメリカとアフガニスタンの境界を揺るがす彼の物語には、他者を搾取し、懐柔しながら拡張していくべき拠点や確固たるアイデンティティ基盤が登場しない。

 また、『MGSV:TPP』において、プレイヤーが一方的に対象を見て、撃って、回収して、離脱するための便利な兵器群は、コチャイの物語では主に失敗を宿命づけられたものとして登場するか、あるいは登場すらしないかのどちらかである。そのようにして、他者を取り込んで拡張すべき拠点を提示せず、兵器の不能を描くコチャイの物語は、アメリカの軍事的覇権と帝国主義的拡張政策を批判するにあたってそれらに接近していく、というヴェノム・スネークたちの同毒療法的病理を経由することなく、それらを批判することを可能にしているのだ。(注3)

 かくして、『MGSV:TPP』の発売から5年が経ち、アフガニスタンにルーツを持つ小説家がFPSゲーム群に抱いた違和感を応用して執筆した短編小説は、ビデオゲームが描きそびれたアフガニスタン市民というファントムを描き出し、『MGSV:TPP』とは別の回路を経由したアメリカ批判を達成した。

 とはいえ、何らかの対象を描写することは同時に余白を生みだす行為でもある。コチャイの短編でアフガニスタン市民の生活が十全に描かれたとは到底言えないし、なかでも、女性キャラクターの描き込みは極めて少ない。描き残されたファントムを描いた彼の短編もまた、次なるファントムたちを待つ霊園となるだろう。何かをやり遂げることは、何かをやり残すことだ。しかし、そのやり残しを引き受けて、どこかの誰かが予想もつかない媒体で次の創作行為を生み出していくのだろう。ちょうどコチャイの短編がビデオゲームと小説を媒介し、インテリたちの文芸誌『ニューヨーカー』に新しい風を吹き込んだのと同じように。

■矢倉喬士
西南学院大学で現代アメリカ文学を研究。小説家ドン・デリーロの作品を中心的に扱った博士論文を執筆後、小説、映画、グラフィック・ノベル、Netflixドラマ、ビデオゲームなどを対象に現代アメリカを多角的に考察している。

〈注釈〉
(1)とはいえ、アラブ・ムスリムの一般市民がビデオゲームに登場しない傾向については、ステレオタイプや差別的表象であるとは必ずしも言えず、技術的制約を考慮する必要があることも同論文が指摘する通りである [Šisler 215]。

(2)『MGSV』では銃器に取り付けられるレーザーサイトには基本的に全て「米国系」と表示されているが、例外もある。コチャイの短編にも登場する麻酔銃「ウィンダージャ・サイレントピストル」のレーザーサイトにはなぜか「米国系」の表記がない。しかし、(1) ライフル系銃器に搭載されるレーザーサイトには全て米国製と明記されていること、(2) 一部ハンドガンのレーザーサイトの表面に英語の注意書きがあること、(3) (『MGSV:TPP』が当時の兵器事情をそのまま反映しているわけではないにしても)1980年代当時の東西技術力格差からレーザーサイトのような新型技術製品は米国製であろうと思われること、以上の3点から麻酔銃のレーザーサイトも米国製であろうという類推は可能である。この注釈部の執筆にあたっては、メタルギア・シリーズのゲーム実況動画制作者のAzrail氏に情報提供を受けた。

(3)本稿はソラヤ・マレイがアメリカ合衆国と「ダイヤモンド・ドッグズ」を混同していると指摘したが、ここまでの本稿の議論はアメリカ合衆国と「サイファー」を混同している。ミッション「幻肢」にて救出され、支援ヘリのピークォド号に乗ったカズヒラ・ミラーは、「国家(アメリカ)を超えた “国家なき組織”」である「サイファー」が「世界の全てを呑み込んで成長を続けて」「悠々と泳ぎ回ってる」と発言する。つまり、エイハブというコードネームを与えられたヴェノム・スネークとカズヒラ・ミラーたちが復讐すべき白鯨(モビィ・ディック)とは「サイファー」に対応している。ミラーが「サイファー」を「国家(アメリカ)を超えた “国家なき組織”」と言っている以上、「ダイヤモンド・ドッグズ」の復讐対象や批判対象をただアメリカ合衆国と捉えるのでは、『MGSV:TPP』が持つ批評性を矮小化することになるだろう。実際、『MGSV:TPP』はアメリカという国家の枠組みを超えて世界中に広がった戦争ビジネスのみならず、アメリカの帝国主義に劣らぬ重要なテーマとして英語帝国主義を扱っている。『MGS:TPP』は、冒頭のカットシーンにて「人は、国に住むのではない。国語に住むのだ。『国語』こそが、我々の『祖国』だ」というエミール・シオラン(Emil Cioran) の言葉を画面中央に表示するところから始まる。この段階で、このビデオゲームが国よりも言語を重要な問題として採り上げることは明示されている。その後の展開を見ても、アフガニスタンやアフリカの地に降り立ったスネークたちが、他のどんな資源や資材にも増してまず先に回収せねばならないのは通訳者である。というのも、「ステルスゲーム」の代表格であるメタルギア・シリーズにおいて、ステルスやスニーキングの鍵となる尋問や無線傍受は、言語を介して可能になるからである。加えて、『MGSV:TPP』における最大規模の破滅をもたらしかねない要素は、巨大ロボット「サヘラントロプス」でも核兵器でもなく、特定言語を話す人間に伝染・寄生して特定言語話者を殺す「声帯虫」である。アメリカをアメリカたらしめるもの、あるいは「愛国者達」の問題を「サイファー」という非政府諜報組織を通じて扱ってきたメタルギア・シリーズだが、『MGSV:TPP』においては、「サイファー」(創設者であるゼロ少佐の理念を反映した「サイファー」と副官スカルフェイスの実働部隊「XOF」が体現する「サイファー」ではまるで性質が違うところが話を複雑にするのだが)が特定言語をその言語話者ごと抹殺するという「愛語者達」とも呼べる問題が追求されている。これを本稿で十全に扱うことはできなかったが、コチャイの短編が英語で書かれたことについて、アメリカ帝国主義ならぬ英語帝語主義の観点からさらに議論を深めることが可能だろう。

(画像=(C)Konami Digital Entertainment)

〈主要参考資料〉
小島秀夫『Metal Gear Solid V: Ground Zeroes』(コナミデジタルエンタテインメント/2014年)
    『Metal Gear Solid V: The Phantom Pain』(コナミデジタルエンタテインメント/2015年)
J. D. サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳・白水社/1984年)
Kochai, Jamil Jan. “My Story.” The Official Website of Jamil Jan Kochai, Accessed 3 Sep.
---. “Playing Metal Gear Solid V: The Phantom Pain.” The New Yorker, 30 Dec. 2019. Accessed 3 Sep. 2020.
Murray, Soraya. On Video Games: the Visual Politics of Race, Gender, and Space. I . B. Tauris, 2018.
Parkin, Simon. “Hideo Kojima: ‘Metal Gear Questions US Dominance of the World.’” The Guardian, 18 Jul. 2014. Accessed 3 Sep. 2020.
Salinger, J. D. The Catcher in the Rye. Little, Brown and Company, 1951.
Šisler, Vít. “Digital Arabs: Representation in Video Games.” European Journal of Cultural Studies, 11(2): 203-220.
Treisman, Deborah. “Jamil Jan Kochai on the Intimate Alienation of Video Games.” The New Yorker, 30 Dec. 2019. Accessed 3 Sep. 2020.

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