さやわかのゲーム放談 第1回:『メタルギア サヴァイブ』に思う、「死にゲー」を享受する条件

 「死にゲー」って、ありますよね。判断を間違うと一発で死ぬ系のゲームのことです。死んだ場合はゲームのスタート地点からやり直しになる場合も少なくない。あまりに理不尽な難易度の高さなわけだけど、どのシーンで何をすれば死ぬのか、ちゃんと覚えれば何とかクリアできる。そういう作品。つまり死にゲーってのは、要は何度も死んで覚えることが要求されるという、「覚えゲー」なわけですね。

 死にゲーって言葉が一般に認知されてきたのって、いつだろう。Googleに登録されているウェブサイトの日付から調べてみた。すると、この言葉は2004年、2005年あたりからたまにネット上へ登場していたが、まだ浸透はしていなかったようだ。広く日常的に使われるようになったのは2008年あたり。

 どうやらニコニコ動画でゲーム実況をやる人が広めたみたい。ゲーム実況にはいろんな種類があるけど、中にはバカゲーとかクソゲーをプレイして、その理不尽さを笑ったり、あるいはそういうゲームを快調に攻略しまくるスーパープレイ動画もある。いずれにしても死にゲーというのは、ちょっとクソゲーに近いジャンルのものとして広まった。「ノーヒントで即死しすぎだろ、草生える」みたいに笑うわけだ。米国産のアドベンチャーゲーム『シャドウゲイト』とかが、そういった笑いの対象になっていた。

 しかし、この頃からたぶん、ハードな難易度のゲームを繰り返しプレイし、覚えながらクリアすることの楽しさも理解が進むわけです。特に、2009年の『デモンズソウル』くらいから、そういう傾向は強まったと思う。 

『デモンズソウル』が死にゲーでも許せた理由

『デモンズソウル』がよかったのは、死んで、何度もやり直すことにストーリー的な理由があったところ。プレイヤーはゲーム冒頭、いきなりクソ強いボス戦を強いられて、たいがいは殺されてしまう。ところが霊体になって復活し、「生身の身体に戻りたければ他のボスを倒せ」みたいなことを言われるのだ。

 かくしてプレイヤーは、教えられた通りボスを倒して肉体に戻ってみたり、またうっかり死んで霊体になったり、これではいかんというのでまたボスを倒して肉体を手に入れたりしながら、ラスボスに近づいていく。ストーリーが漠然としたゲームなので微妙に間違ってるかもしれないけど、だいたいそういう感じ。

 つまり「復活して再チャレンジする」というゲームのお約束に理屈が付けられてるわけです。たとえば『スーパーマリオブラザーズ』だったら、マリオが100人も残機いたり、死んだらちょっと戻ってやり直したりすることにあまり理由はない。「ゲームってそういうもんだから」としか言いようがない。だけど『デモンズソウル』には理由がある。

 このゲームがどれだけ死にゲーであってもみんな許せた理由は、それもあると思う。もちろん、絶妙なゲームバランスがあってこそなんだけど、それだけじゃなくてこのゲーム=物語の中で、死ぬことと復活することは、理不尽ではないのだ。主人公は何度も死を繰り返し、それでも心を折られずに進むことを、おはなしの中で要求されている。だからプレイヤーはそれに納得できる。

 死にゲーがクソゲーと区別されるようになったポイントはここだ。何の理由もない、ただ一発即死でふりだしに戻されるのはクソだ。が、死んで何度もやり直すことに明確な理由があったりすれば、それはむしろ正しい手順ということなので、ゲームにイカサマされている気分も(あまり)しない。

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