『ガス人間』に活かされた“作家”ヨン・サンホの視点 現代のノワールとして描かれた恐怖

『ガス人間』に活かされたヨン・サンホの視点

 東宝が1960年に製作した「変身人間シリーズ」の一つである、特撮映画『ガス人間第一号』が、60年以上の時を経て、Netflixのドラマシリーズとしてリメイクされた。監督を『岬の兄妹』(2018年)、ドラマ『ガンニバル』の片山慎三、脚本を『新感染』シリーズ、ドラマ『地獄が呼んでいる』のヨン・サンホが担当するという、日韓の先鋭的なクリエイターがタッグを組んだシリーズとなった。

 クリエイターだけでなく、小栗旬、蒼井優、広瀬すず、林遣都、UTA、竹野内豊などといった、出演者にも豪華な顔ぶれを揃えた大型プロジェクトである。劇中のVFXは、「白組」が手がけている。こうした座組で往年の特撮SFのカルト的クラシックを現代のノワールへと転じる試みは、配信前から大きな注目を集めていた。

 さまざまな論点が発生しそうな本シリーズ『ガス人間』のなかで、最も注目したい部分は、やはり日本の製作の枠組みで、ヨン・サンホの視点が活かされる点にあるだろう。彼の脚本は鋭さを増し、本シリーズもまた、現代社会の機能不全を可視化するための、きわめてシニカルな趣向が機能している。

 本シリーズは、そうしたヨン・サンホの優れた構造設計と、片山慎三監督の泥くささもある身体的な演出によって、ときに互いのスタイルを相殺し合うような危うい緊張感を孕みつつ、いまの日本、あるいは世界が目を背けている病理を映し出してみせる。ここでは、本作の表層的なプロットを整理した上で、その奥底に横たわる現代的テーマを考察し、そこに何が描かれていたのかを考えていきたい。

※本記事では、ドラマ『ガス人間』の重要な展開についての記述があります

 生放送中のテレビ番組で起きた、出演者が謎のガスによって爆死するという前代未聞の事件。現場に居合わせた報道記者(蒼井優)と、不祥事による謹慎から現場へ復帰した刑事(小栗旬)は、連続殺人を予告した「ガス人間」の行方を追うことになる。しかし、実体のない怪異の出現は、スクープを狙うメディアや、バズを追い求める動画配信者、さらには裏社会の思惑をも巻き込み、社会全体を異様な混沌へと陥れていく。

 本作の背景を語る上で外せないのが、オリジナル版『ガス人間第一号』の存在である。『ゴジラ』シリーズで知られる本多猪四郎監督と特技監督・円谷英二のコンビによる、「変身人間シリーズ」の一作は、SF的な設定や恐怖表現を当時の社会問題と密接に結びつけた内容によって、いまなおカルト的な人気を誇っている。

 もともとの製作の流れとしては、ヨン・サンホが日本の映画リメイク企画に参加するなかで、この題材に着目し、以前からその手腕に注目していた片山慎三監督が適任であると考えて声をかけたのだという。確かに、ジャンル映画的なエンターテインメントの枠組みやユーモアのなかに厳しい社会問題を滑り込ませる群像劇の手法は、ヨン・サンホが最も得意とする領域である。そして本作が「ガス人間」という存在に象徴させた、現代社会において“可視化されない”弱者の悲劇を、地に足のついた表現で描くという意味において、片山監督が選ばれたのは、必然的で納得がいく。

 このように、普段は目に見えにくい存在が凶悪な事件を起こすことで突如として可視化されるという構図は、われわれが現実の凄惨な殺傷事件などを目にしたときにおぼえる、ある種の実感に近いものがある。当然ながら、いかなる理由があろうと凶悪な犯罪行為そのものを正当化することはできない。しかし、そうした凄惨な出来事が発生することによって、この社会の片隅にどのような人々が取り残され、どのような怨嗟や絶望の感情があったのかが、皮肉なかたちでさらされることになる。

 それまではまるで社会から存在しないかのように無視されていた人々や、見たいものだけを見るシステムによって不可視化されていた歪みそのものが、事件という最悪のかたちでしか認知できないという現実の残酷さを、本作は鋭く突きつけているのである。

 その構図が暴き出すのは、食物連鎖を思わせる搾取構造である。強い者が弱い者を利用し、その弱い者がさらにより弱い者を搾取していく。構造の末端に近づくほど、悲劇性や孤立性はより深刻さを帯びていく。本シリーズにおいて、移民や身寄りのない者たちは、まさにその最底辺において社会的に孤立し、最も無視されやすい存在として象徴的に表現されている。

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