『銀河の一票』が描いたのは“理想論”だったのか 最終回が示した政治ドラマとしての覚悟

『銀河の一票』は“理想論”だったのか

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

 6月29日に最終回を迎えた『銀河の一票』(カンテレ・フジテレビ系)のキーワードとして何度となく登場した宮沢賢治の『農民芸術概論綱要』の一節。

 ごもっともな文言だけれど、人によってはこれが鼻白む「絵空事」に聞こえてしまうのも確かだ。ずっと希望の見えない、厳しく、荒んだ当節、目の前の現実に向き合うことに必死で毎日を生きている人たちからすれば、この言葉を唐突に「上から」向けられても、現実社会とのあまりの乖離に「まあ、それはそうなんですけど」「現状を見てごらんなさいよ」と言うよりほかない。

 当然本作の作り手は、こうした冷めた声が上がることも想定していただろう。「言うは易し」との批判を覚悟のうえで腹を括って、「せめてフィクションの中でぐらい、理想を語ったっていいじゃないですか。じゃなきゃ、いつどこで語るんですか?」と問うている。在日ファンクの浜野謙太と後藤真希が歌う主題歌「おーへい」の歌詞にある「いい歳こいて尚じっとしてられん」「茶化して笑って感化できないな」という一節は、作詞を手がけた浜野が「青臭い理想論だと揶揄されるのも覚悟の上です。でも、やるんです」という作り手の気概を汲み取っての表現ではなかろうか。

 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」を信条とする主人公の茉莉(黒木華)はかつて、与党幹事長でタカ派の政治家である父・星野鷹臣(坂東彌十郎)の秘書をしていた。しかし、政策実現のためならあくどい強硬手段も辞さず「必要悪」を是認する父のやり方に加担し続けることに限界を感じ、はじめて父に背く。そして茉莉は、親子としては勘当、政治家秘書としては破門を言い渡される。

 路頭に迷った茉莉は、亡き母・瑠璃(本上まなみ)から形見のように受け取った「道に迷ったときは明るい方へ行きなさい」という言葉を思い出す。そして、打算など微塵もない、困った人を見れば本能的に手を差し伸べずにはいられないあかり(野呂佳代)と出会う。そして彼女こそが茉莉にとっての「明るい方」であると惚れ込み、あかりに都知事選に立候補しないかと説得する。

 元養護教諭でスナックの雇われママであるあかりが発する、借り物ではない「自分の肚(はら)から出た言葉」が、このドラマの屋台骨であったように思う。それまでほとんど政治に関心のなかったあかりが、社会と政治に関する「当たり前の疑問」を「当たり前の言葉」でぶつけるところに説得力があった。あかりの、日常生活に根ざしたシンプルで芯を食った言葉の数々は、形骸化しすぎて本質を見失いつつある選挙演説や政策の文言に、しなやかに意義を唱えていた。

 ほとんどの政治家の目的と手段が逆転している。これが日本の現状ではなかろうか。本来は、誰もが幸せに生きられる世の中を作るために政治があり、そのために尽力するのが政治家であるはず。それなのに、有権者にとって耳当たりのいい政策を掲げるという「手段」を用いて選挙戦を勝ち抜くこと、ひいては政治家として権力を持つことが目的になっていないだろうか。選挙が単なる椅子取りゲームになってしまって久しい。

 ドラマでは茉莉の対比として、与党幹事長である鷹臣、そして彼の後押しを得て都知事選に立候補した流星(松下洸平)が配置されている。市井の人々の声をヒアリングして掬い上げ、とことん寄り添おうとする「ボトムアップ」の政治を志す茉莉と「チームあかり」。対して鷹臣は典型的な「トップダウン」の政治を行う政治家であり、彼の側近である流星も鷹臣のイエスマンだ。

 ところがのちに、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」はもともと鷹臣が座右の銘だったことが明かされる。清廉潔白に理想を掲げて突き進もうとする「チームあかり」。対して、大義名分のためなら小罪も厭わない鷹臣と流星。鷹臣は総理大臣に、流星は都知事になって、理想実現のために「権力」を持とうとする。

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