スタジオジブリの重要な転換点 『魔女の宅急便』がいまなお圧倒的に支持されている理由

1989年の劇場公開以来、世代を超えて人々から愛され続ける、角野栄子による同名の児童文学を原作とした、スタジオジブリの宮﨑駿監督作品『魔女の宅急便』が、スタジオジブリ監修のもと、4Kデジタルリマスター版として再び全国の劇場のスクリーンで上映されている。
当たり前のことだが、もともと映画館で上映するために作られた、劇場用アニメーション映画である本作『魔女の宅急便』。だが、公開から37年という歳月が経った現在、多くの人々にとって本作は、度重なるテレビ放送によりお茶の間に溶け込んだ、国民的なTV放送の定番として認知されているかもしれない。
それゆえに、今回の再上映が持つ意味は小さくない。当時、熱気あふれる映画館で本作をリアルタイムで目撃した観客にとっては、当時の記憶を取り戻す瞬間となるだろうし、とくにTVやネットミームを通じて本作に触れてきた若い世代にとっては、この日本のアニメーション映画の名作に、初めて“映画”として出会い直すという、強烈な異化体験になるはずだ。
ここでは、本作が映画館という本来の場に帰還した、このタイミングに、そこで描き出されたテーマや、この映画を通してジブリ映画が国民的な存在になった理由の背景を、もう一度掘り返してみたい。
日本のアニメーション業界を長らく牽引し続けてきたスタジオジブリの歴史において、本作『魔女の宅急便』の公開は、同スタジオが初めて国民的な大ヒットを記録した、重要な転換点である。現在でこそ巨匠として世界に名を知られている宮﨑駿監督だが、当時はまだ一般層への認知度はそれほどには高いといえず、前作『となりのトトロ』(1988年/『火垂るの墓』と同時上映)は、批評家筋から絶賛されたものの、いまでは信じ難いことだが、興行面で苦戦を強いられたのだ。そんな退路を断たれた状況でスタジオを救ったのが、本作だったのである。
当時の日本はバブル経済の絶頂期にあり、映画界ではトレンディドラマの源流になる『私をスキーに連れてって』(1987年)が、若い世代を惹きつけていた。その主題歌を歌い、ライフスタイルへの憧れの象徴ともなっていた松任谷由実の楽曲を採用したことで、時代の気分と宮﨑作品が同期することになったのだ。1970年代に発表された「ルージュの伝言」と「やさしさに包まれたなら」の使用は、本作をそれまで“一部のファンが楽しんでいたアニメーション”に、“日本人の多くが憧れていた都市の物語”の要素と、レトロなオシャレ感を加えている。
キキがポータブルラジオのスイッチを入れ、「ルージュの伝言」のイントロが流れ出した瞬間、劇場全体の雰囲気が切り替わる。この音楽による世界観の変化こそが、当時それまでアニメを観なかった層、とくに若い女性を劇場へ惹きつける強力な仕掛けとなった。ここでの「ルージュの伝言」が古い演出だと感じないのは、その当時もレトロな文脈で使用されたからだろう。
キキのキャラクターデザインも秀逸だ。濃紺のシンプルなワンピースを着て、頭には大きな赤いリボンをつける。このシンプルな姿が、一見して誰もが「キキだ」と認識させる力を持つ。このデザインがキキに分かりやすさ、親しみやすさを与え、映画の敷居を劇的に下げたことは間違いない。
13歳になったキキは満月の夜、魔女の古いしきたりに従い、黒猫のジジとともに親元を離れ、ひとり立ちの旅に出る。海辺の美しい都市コリコにたどり着いた彼女は、空を飛ぶという、彼女の唯一の魔法を活かし、パン屋の居候として、空飛ぶお届け物屋さんを始める。見知らぬ街での新たな出会いや初めての労働に従事しながら、彼女の等身大の物語が動き出していく。























