朝ドラにおける“赤ちゃんの抱き方”への一つの解 『風、薫る』“ドクターX”味が増す病院編

『風、薫る』“ドクターX”味が増す病院編

 NHK連続テレビ小説『風、薫る』第7週「届かぬ声」(演出:松本仁志)ではりん(見上愛)が担当した患者とうまく接することができず落胆してしまう。

 帝都医科大学附属病院で実際に見習いとして看護を行うことになった、りん、直美(上坂樹里)ほか7人。バーンズ(エマ・ハワード)は、りんたちの働きによって、看護婦養成学校の存続が決まると「心してかかってください」と発破をかける。彼女たちが役に立たないと、看護婦なんて無用だと思われてしまうのだ。看護婦は下賤の職業でもないし、医者の手伝いでもない、独立した重要な仕事であることを示す使命をりんたちは帯びている。

 帝都医科大学附属病院は一流の病院のはずだが、病室は換気もシーツの取り換えも十分でなく、りんたちは張り切る。でも以前から働いている看病婦たちはいい顔をしない。

 りんが最初に受け持ったのは、足を怪我している園部(野添義弘)。「下女風情が」とりんを見下し、取り付く島もない。もっとコミュニケーションがとれれば怪我の回復にも寄与できるかもしれないのに。しかも、これまで学んだように観察したところと、医者の診立てが違うような気がしてもどかしい。

 結局、最後まで口をきいてもらえなかった。だがバーンズは、患者と仲良くして感謝されたいと思うのは「ごうつくばり」――欲が深いと冷静に指摘する。看護婦の目的は患者が回復することであり、自己満足のためではないのだ。

 昨今、何かと自己肯定感を高めることが重要視されるが、そこにこだわりすぎると、りんのようなことになってしまう心配がある。

 ただ、だんまりを決め込んでいた園部が実は、りんが飾った花瓶の花の水をこっそり替えていたことがわかる。感謝や交流を求めてはいけないと言われても、やっぱり感謝やちょっとした心のふれあいがあると人は生きる力になるものなのだ。

 りんたちは、ナイチンゲールの清潔第一の精神で、風通しの悪い病院に風を入れる一方、まだまだ実践が伴わない。例えば、喜代(菊池亜希子)が、赤ん坊の抱き方を知らないと看病婦に「子もりなんて8つの子どもでもできるのに」と呆れられてしまう(第33話)。

 喜代は結婚経験があるものの(現在は離婚)子どもがいなかったから子どもの扱いがわからないようなのだ。

 ここで思ったのは、最近の朝ドラは主人公がお母さん役をやっても、あまり子どもを抱くシーンがないということだ。なかには、練習を重ねて巧みな俳優もいるのだが。がんばって練習して慣れないと自然な動きはできないもの。練習する時間がとれないなら見せないという配慮だろうか。そもそも相手が生きた赤ん坊だから、そちらへの配慮もあるだろう。赤ちゃんが泣きだして撮影がストップしたら困るというのもあるだろう。

 でも、母親と子の当たり前のスキンシップの描写が省かれると、観ているほうは不思議な気持ちになる。

 こういうとき、喜代の場面のようにあえてうまくできないというふうに見せてしまえば、そういう人も世の中にはいるということで済むのではないだろうか。彼女は母の経験がない設定だが、母でも不器用で子どもの抱き方がうまくないという物語にしてしまえばいい。

 明治時代、「8つの子どもでも子守はできる」時代といっても、それは平民に限るだろう。家柄のいい人は子どもの世話は女中に任せていた。「母」「女性」といっても、誰でも子ども扱いがうまいわけじゃない。じつに様々なのだということがわかるエピソードだった。江戸時代は階層で人が分かれていたが、明治時代になって階層がなくなっていろいろな生活環境の人が混ざりあってきたという見方もできる。

 これもまた風の仕業。風が吹いて、いろいろな価値観を混ぜ合わせていく。

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