『プロジェクト・ヘイル・メアリー』が共感を生む理由 SFの皮を被った“精神のストーリー”

さてここから、一人だけで計画を遂行しようとする、グレースの奮闘がスタートする。しかし、ついにタウ星近辺に到達したときに、予想外の出来事が起きる。彼はそこで、地球外の知的生命体の宇宙船に遭遇するのである。もちろん言語は異なるものの、交信を重ねることで、じつはその船もまた、違う惑星から同様の目的で調査に来ていたことが分かるのである。
その知的生命体は、岩のような外殻で覆われた、蜘蛛のような多脚を持つ姿をしていた。岩っぽいことからグレースが「ロッキー」と呼ぶそれは、やはりグレースと同じように宇宙船のなかで一体のみ生き残った個体であった。工学に優れたロッキーと、生物科学の研究者であるグレースは、互いに協力し“共同調査”をすることで、アストロファージ対策を研究しようとするのだった。
ここで気になるのは、孤独な宇宙の旅をする人間の宇宙飛行士が、蜘蛛のような知的生命体と出会うことで互いの友情を深め合う映画『スペースマン』(2024年)に、その内容がそっくりだということだ。その原作小説は、チェコ出身のSF作家ヤロスラフ・カルファシュが2017年に発表した小説『ボヘミアの宇宙飛行士』が基になっていて、本作の原作者アンディ・ウィアーのアイデアを先取りしているのである。『スペースマン』の作品評(※)を以前書いているので、興味があれば確認してもらいたい。
大きなスケールで描く、ごく個人的な変化 『スペースマン』にみる、SF的題材が人気な理由
テッド・チャンの短編小説を映画化したドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作『メッセージ』(2016年)、ブラッド・ピット主演のオリジナル映画…アンディ・ウィアーがヤロスラフ・カルファシュのアイデアを剽窃したのか、それとも単なる偶然の一致だったのかは分からない。おそらくは後者ではないかと予想するが、もしそうだとするなら、なぜ地球外の知的生命体が、複数の作家によって“多脚型”として描かれたのかという疑問が発生するのではないだろうか。
それは西洋で“蜘蛛”という存在が、しばしば嫌悪や恐怖の対象として扱われてきた歴史があるゆえだと考えられる。西洋の文化圏においては、地を這って暗がりに潜み、罠を張って獲物を待ち受ける蜘蛛は、悪魔的なものだったり魔女的なものとして扱われてきたところがある。
そんな刷り込みが、ユダヤ教やキリスト教において神の似姿とされる人間と、対極な存在として蜘蛛を登場させようという発想に至ったのではないか。ただ本作のロッキーに限っては、外殻を岩のようにデザインすることで嫌悪感を軽減し、日本のSF漫画『攻殻機動隊』の「フチコマ」のような愛らしさを獲得させてはいるのだが。
そのように人間から離れた存在だからこそ、ロッキーの“他者性”が際立ち、そんな生命体と友情を結んでいくことの難しさが印象づけられる。言語も感覚器官も、さらには信じる神すら持たない異形の隣人と、“科学”という唯一の共通する学問だけを頼りに、ゼロから理解し合うのである。そこには、先入観を乗り越えることで危機に対処することの意義と重要性が表現されているのだ。
それと対照的な位置に置かれているのが、地球でグレースの研究結果を待つ人類である。ヘイル・メアリー計画を進めていたストラット(ザンドラ・ヒュラー)は、この計画の必要性を語るときに、人間について悲観的な見通しを示唆している。それは、深刻な食料問題や環境の大幅な変化が起きたとき、力のある国は食料や資源を独占し、弱い国の人々を犠牲にするのではないかということ。いまの現実の世界情勢を見ていると、それはおそらく真実なのだろうという実感がある。
そして、映画版で追加された印象的なカラオケシーンが示すように、問題意識が高く優しさも持ちあわせているストラットであったとしても、できるだけ多くが生き残るためには個人の意志や命は犠牲にしても構わないという“功利主義”を選んでしまうのである。そしてグレースは、自分の保身から勇気を出せずに逃亡しようとしてしまっていた。
だが、自身の危険を顧みずに、勇気と友愛の心を持ったロッキーの行動を目にしたことで、グレースもまたロッキー同様に大事な存在のために勇気を持つことの意義を知ることになる。そんなロッキーやグレースのような、違いを乗り越えて真の意味で協力し合う側から見ると、危機に際してすら自分たちのことしか優先できない者ばかりの人類という種は、俯瞰して見れば“致命的な欠陥”があるのではとすら思えてくる。
その意味で、本作のラストで描かれたグレースの“意外な選択”は、そうした目で見たときに、非常に辛辣な風刺として立ち上がってくる。先入観を取っ払い、公平な目を持ち得たグレースのような存在にとって、もはや人類というコミュニティは、長い時間をかけてまで帰属するほどの価値などないのではないか。華やかな舞台やマッチョなヒロイックさからは最も遠く、集団から落ちこぼれであるかのように扱われ疎外されていた人間こそ、じつは最も価値があったという逆説が、ここでは描かれる。
ロッキーとグレースが友情を結ぶとき、その最も有効なツールとなったのが、言語の壁を超えた科学知識であったことは、言うまでもない。科学的な真理は、異文化であっても普遍的なものであるからだ。しかしそれが高度なものになってくると、科学者同士にしか理解できないものになっていく。そうした交流は、まさに特定の分野の知識が豊富だが社交性に欠けるという、アメリカで言うところの「ナード」の“オタク話”そのものである。
フィル・ロード&クリス・ミラーはこれまで、こういった一見冴えない、際立ったヒーローとは遠いような人物こそが、世界や人々を救うことになるといった物語を、いくつも映画というかたちで提供してきたクリエイターである。そして、そんな世の中の価値観から弾き出される存在に光を当てるべきだという要素が、今回の原作小説にあったことこそが、彼らの信条と重なり、この物語の映画化を決意させたのではないかと想像する。
本作『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、それを伝えるために、原作の枝葉を切り落として、よりフィル・ロード&クリス・ミラー仕様にカスタマイズされた、精神のストーリーに組み直されていると考えられる。本作がSF以外の部分で共感を生んでいるのは、まさにこの点にあるのではないだろうか。
とはいえ、あのカラオケシーンに代表されるように、従来の価値観のなかで力を得ている人物のなかにも、世のなかの現実に葛藤を覚えていたり、献身的な人間性を持った人物もいるということを描き、バランスを取ったのが本作であるのも事実。フィル・ロード&クリス・ミラーが、マッチョな世界に中指を立てたのは確かだが、ここで彼らもまた異質な存在を徹底的に拒絶しなかったことが、本作の物語そのものから得た教訓だったのだろう。
参照
※ https://realsound.jp/movie/2024/03/post-1596253.html
■公開情報
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』
全国公開中
出演:ライアン・ゴズリング、ザンドラ・ヒュラー
監督:フィル・ロード&クリストファー・ミラー
日本語吹替:内田夕夜、三石琴乃、沢城みゆき、佐倉綾音、三宅健太、山路和弘、園崎未恵、井上悟、田中美央、高島雅羅、林真里花、横堀悦夫、間宮康弘、新井笙子、神戸光歩、柚木尚子、雪村マイ、金城慶、渡辺アキラ、木内太郎、花江夏樹
脚色:ドリュー・ゴダード
原作:アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(早川書房刊)
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
公式サイト:https://ProjectHM.movie
公式X(旧Twitter):https://X.com/ProjectHM_movie

























