『ストレンジャー・シングス』に別れを告げて 大人になる彼らと私たちの手の中に残った物語

“物語”はいつだって私たちの手の中にある
彼らの冒険の締めくくりは、巨悪への勝利ではなくその先にある“卒業式”だった。先述のダファー兄弟の言葉を思い返すと『ストレンジャー・シングス』が主要キャラクターの高校卒業と共に終わる、というのも納得できる。

エディ(ジョセフ・クイン)がやろうと思っていたことをやったダスティン(ゲイテン・マタラッツォ)のスピーチも最高だったが(ヘルファイア・クラブよ、永遠に!)、個人的にはその後に描かれた屋上での“お兄ちゃん&お姉ちゃん会”のシーンもとても切なくて、胸にグッときてしまった。彼らの「毎月これからも会おう」という約束は、おそらく一度も果たされることはないのだろう。自分自身がそんなふうに疎遠になってしまった人たちも数知れず。しかし彼らにはどうか、その後も会い続けてほしいという願いを込めて。

エルの生死に関しても曖昧になったが、西洋神学において「12」がイスラエルの部族や使徒を象徴する『完全数』であるのに対し、彼女の与えられた名前「11」は常にそこから一つ欠けた“不完全”や“過渡期”を意味してきた。そう考えると「真実」が曖昧にされた結末は、彼女が自分の“物語”が何者かによって完成されることを拒んだと同時に、作品として私たちに“物語”を想像/創造させる余白を残す方を選び取った結果なのだ。
そんなふうに、キャラクターの未来をハッキリと書き示さず、クリエイターが彼らに自分たちの未来を想像させる終わり方に、やはり意味があったのではないだろうか。マインド・フレイヤーのような存在が蔓延り、彼らが生きた冷戦時代のように情報統制がされたり、フェイクニュースが溢れたり、なにを信じたらいいかわからないポスト・トゥルースの時代において、いかに “想像/創造”を疎かにせず、何を信じるのか見定めることが重要なのか、私たちに訴えかけているのだ。それと同時に、時に人は「真実」ではなく、自分の心を救うために信じたいものを信じる……そんな人間くささを否定しないところも、この作品の持つ優しさだ。

彼らが語る“物語”にはたくさんの試練も、トラウマも、別れも含まれている。むしろ、それらの痛みは“物語”に必要不可欠でもあって、奇妙な出来事や見知らぬ物事に溢れている世界の中を生き抜く武器に変わっていく。そして自分の“物語”は、誰かにペンを盗られて書き殴られるものではなく、いつだって彼らの、私たちの手の中にあるのだと。そのことを忘れてはいけないという力強いメッセージが、『ストレンジャー・シングス』から最後に我々に託されたものだった。

マイクとダスティン、ウィル(ノア・シュナップ)とルーカス(ケイレブ・マクラフリン)とマックス(セイディー・シンク)は自分たちの本を棚に戻し、地下室から階段を上がっていく。ここが彼らの最後の撮影シーンだったことも踏まえると、俳優陣の表情には演技以上の感情が溢れ出ていて、本当に力強い場面だ。振り返ると、彼らの代わりに今度はホリー(ネル・フィッシャー)たち……次の世代が彼らの“物語”を机の上に広げていく。その様子に安堵し、マイクたちは地下室を出て行ってしまった。

彼らはまた、あの地下室に行けば“あの頃”を手に取ることができる。そして私たち視聴者にとっても、『ストレンジャー・シングス』は“あの頃”、そして私たちの生きる“いまの表側の世界”を見つめたいとき、そこにあり続けてくれるのだ。
参照
※ https://jp.ign.com/stranger-things/81996/interview/510
■配信情報
Netflixシリーズ『ストレンジャー・シングス 未知の世界 5』
Netflixにて配信中
出演:ウィノナ・ライダー、デヴィッド・ハーバー、ミリー・ボビー・ブラウン、フィン・ヴォルフハルト、ゲイテン・マタラッツォ、ケイレブ・マクラフリン、ノア・シュナップ、セイディー・シンク、ナタリア・ダイアー、チャーリー・ヒートン、ジョー・キーリー、マヤ・ホーク、プリア・ファーガソン、ブレット・ゲルマン、ジェイミー・キャンベル・バウアー、カーラ・ブオノ、エイミーベス・マクナルティ、ネル・フィッシャー、ジェイク・コネリー、アレックス・ブロー、リンダ・ハミルトン
クリエイター:ザ・ダファー・ブラザーズ
製作総指揮:ロス・ダファー、マット・ダファー、ショーン・レヴィ、ダン・コーエン、イアイン・ペイターソン、カーティス・グウィン




















