『ストレンジャー・シングス』の結末が示す“希望” ウィルの孤独とダスティンの言葉の意味

1980年代のアメリカ郊外の町を舞台に、子どもたちの冒険物語とSFホラーを融合させた、Netflixシリーズ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』の最終シーズンが配信され、ついに10年の歴史を持つシリーズが終了した。そのラストは、長い間登場人物たちを追い、同じ時間を過ごしてきた視聴者を納得させる、味わい深いものだった。
ここでは、そんな本シリーズ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』が、この長い物語とキャラクターの結末を通して、いったい何を表現しようとしたのか。深掘り解説していきたい。そこで描かれるのは、単なる超常的なスリルにはとどまらないのだ。
本シリーズは、Netflixという配信プラットフォームの象徴的な成功例として知られている。いまでは珍しくなくなった、エピソード一斉配信による“一気見”視聴という視聴スタイルを一般化させた作品でもある。テレビ放送の時間割から解放され、待たずにいつでも物語を楽しめるという体験が、世界的に共有されることとなった。
この10年間の「1980年代リバイバルブーム」を決定づけたのも本シリーズだ。スティーヴン・キングの小説『IT』を連想させるストーリー、ファミリームービーの代表作『E.T.』(1982年)や『グーニーズ』(1985年)を意識させる子どもたちの冒険、モール文化やファストフード、特徴的なシンセサウンドやアーケードゲームなどの時代的な要素は、ヴィンテージとしての魅力を発揮し、映画や音楽、ファッションにまで波及する社会現象を生み出した。
近年では、リバイバルブームが1990年代文化へと移行している感がある。そういう目で見れば、本シリーズをここで終わらせることは、本シリーズが決定づけたブームの終焉を自らが終わらせているようにも感じられる。つまりファイナルシーズンは、ブームの核を作り上げた者たちが、その流れに終止符を打とうとする大イベントだといえるのだ。
シリーズ全体の物語の舞台となるのは、インディアナ州の田舎町ホーキンス。そこで起きる少年失踪事件は、「裏側の世界(アップサイドダウン)」と呼ばれるようになる異次元的な空間や、謎の研究者たちによる極秘実験、モンスターの出現などなど、数々の異常事態、超常的な事態へと繋がっていく。
そんな騒動を解決する役割を担うことになる中心メンバーが、12歳くらいの4人の少年たち、マイク(フィン・ヴォルフハルト)、ウィル(ノア・シュナップ)、ダスティン(ゲイテン・マタラッツォ)、ルーカス(ケイレブ・マクラフリン)だ。彼らは地下室でテーブルトークRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(以下、『D&D』)を遊ぶのが大好き。テーブルトークRPGとは、ゲームの語りと調整を担当する「ダンジョンマスター」が設定した世界観のなかで、プレイヤーたちがダイスを振ったり自身のキャラクターによって展開を作っていくという遊びだ。そんなメンバーの一人ウィルが、失踪してしまうところから、物語は動き出していく。
ウィルを捜索するマイク、ダスティン、ルーカスの前に現れたのは、実験施設から逃げ出した超能力少女、“イレブン”(ミリー・ボビー・ブラウン)だった。大人たちから逃げる彼女を地下室にかくまったマイクは、彼女に淡い恋心を抱く。超常的な存在を少年が家に隠すという展開は、『E.T.』そのものだといえる。それだけでなく、スティーヴン・キング作品のような小さな町の不穏な雰囲気、ジョン・カーペンター風の電子音楽など、ポップカルチャーの引用によって本シリーズは構成されている。
ウィルへの愛情たっぷりの母親をウィノナ・ライダーが演じたほか、マイクの姉役のナタリア・ダイアー、彼女と三角関係となる男子生徒を演じたチャーリー・ヒートンやジョー・キーリー、そしてマヤ・ホークやセイディー・シンク、デヴィッド・ハーバーなどなど、さまざまな年代の俳優が、本シリーズでブレイク、もしくは再ブレイクを果たしている。なかでも、ゲイテン・マタラッツォとジョー・キーリー演じる、ダスティン&スティーブのコンビは視聴者に好感を与えている。
シーズンごとに町の危機を救うという構成は、ややワンパターンだと感じる部分もあるが、進むにつれてスケールが大きくなっていくのは確かだ。モンスター退治だけでなく、心の喪失やトラウマ、家族や恋人、友人たちの崩壊と再生といった、シリアスな人間ドラマも描かれる。この点は、『IT』に通じる部分が少なくない。
異空間アップサイドダウンは、シリーズ全体を通して町の脅威の源泉となる。ウィルはそこに迷い込み、怪物たちもそこから現れていた。肌寒く塵が舞っていて、虚無感を覚える場所……この空間は、単なるSFの設定というわけではない。これは、10代の子どもたちが成長し、大人になっていくまでに体験するかもしれない、孤独や絶望、そして降りかかり得る危険を表現している。
本シリーズの少年たちは、『D&D』に熱中したり、コミックや理系の知識などを語り合っていることが示すように、典型的なオタク(ナードやギーク)気質だと表現されている。そういった子どもたちは、運動部やチアガールなどに代表される、体育会系の「ジョック」に比べて人気がなく、ややもすると嘲笑やいじめの対象になってしまうこともある。こういった学校社会における画一的な価値観だったり、文化衝突や迫害は、アメリカの学園映画やドラマにおいて繰り返し描かれてきた。
そうした構図は、自ら命を絶つ生徒が出るといった傷ましい結果になったり、大きな問題や事件に発展する場合もある。現実でいうと例えば、多くの犠牲者を出した「コロンバイン高校銃乱射事件」の犯人は、学生生活のなかでジョックとその取り巻きたちのいじめを受けていたことが分かっている。いじめくらいでそんな事態に発展するのは異常だと感じる人もいるのだろうが、こういった事件が存在すること自体が、いままさにいじめを受けたり疎外されたり暴力を振るわれる子どもにとって、生死にかかわるほどに辛いものだということを示しているのではないだろうか。
そう考えれば、いじめのターゲットになり得る生徒にとって、学生生活を生き延びることは、本当の意味で一種のサバイバルだといえよう。大人であれば、辛ければ逃げる選択もある。しかし、実質的に強制される学校生活では、現実問題、生徒に逃げ場がないケースが少なくないのだ。



























