細田守は一体何に挑んだのか 『果てしなきスカーレット』は“世界の現状”を問い続ける

『果てしなきスカーレット』が問うた“世界”

 この物語はどこに行こうとしているのだろう。何を伝えようとしているのだろう。そんな謎に包まれながら、スクリーンから目を離すことができない。そういう稀有な映画体験を、私たちは幸運にも何度か目にしてきた。

 最近では、宮﨑駿監督の『君たちはどう生きるか』(2023年)がそうだった。あるいは、先頃リバイバル公開を果たした押井守監督の『天使のたまご』(1985年)もそうだ。観ている間中、観客が思索を巡らせ、フル回転で頭を使っている状態こそ、最上のエンターテインメント体験を味わっているといえる。ただし、そんな作品を実現できる映画作家は、世界の歴史上においてもごくわずかだ。

 細田守監督の新作『果てしなきスカーレット』では、観客はいきなり主人公スカーレット(CV:芦田愛菜)とともに「出口の見えない冥界」へといざなわれる。そこから我々はかなり長い間、彼女とともに行き先の見えない、文字どおり「果てしなき」地獄めぐりの旅に同行することになる。父の復讐を果たすという彼女の願いは叶うのか、この世界から抜け出すことはできるのか、それはつまり何を意味するのか。観客はずっと思考し続けるが、まさにそれこそが『果てしなきスカーレット』の映画体験として心と体に刻み込まれるだろう。

稀代のヒットメイカーが挑む、思考し続けるエンターテインメント

 とはいえ、ただ五里霧中なだけでは観客も興味をなくしてしまう。あんまり頭を使わされすぎても疲れる一方だ。そこはやはり、稀代のヒットメイカー細田守監督作品。力強いアクションとサスペンス、矢継ぎ早のドラマ展開、スケール感豊かなビジュアルの連続で、少しも観る者を飽きさせない。それでも「物語のゆくえ」については易々と悟らせないまま歩みを止めないのだから、相当に度量が大きくないとできない演出であり、群を抜いて挑戦的な一作と言えよう。

 ヒントとなるのは、モチーフとなるシェイクスピアの戯曲『ハムレット』。原典に触れた経験はなくともタイトルぐらいは誰もが知っているような古典だが、古典だけにもはや忘れそうになるほど普遍的な物語の核心が、この『果てしなきスカーレット』では新たなドラマの原動力となる。それは、いまも世界を血と炎で染め上げている「人間の果てしなき業」ともリンクするテーマである。しかも、その業は「死んでもなおらない」ものとして本作では描かれる。現実とほとんど変わらない苛酷さが延々と続くという“死後の世界”観は、なかなか新鮮であり、どこか黒沢清作品の絶望も思い出させる。

古典が映し出す、争いのやまない「現代」のリアル

 ゆえに、古典をモチーフとしながら、中世デンマーク王国から物語がスタートしながら、本作は「現代」を意識させずにおかない。

 世界のどこかで、いまも人間同士が殺し合っている。何かの恐れや不安を払拭するように、殺戮を止めない人々がいる。かつてあまりに手酷い教訓を得たはずの敗戦国でさえ、たやすく戦争を始める道を歩もうとしている。そんな世の中にあって、どうして万人の心を打つエンターテインメントなど作れるだろうか? まさしくそんな「果てしなき問い」に立ち向かわざるを得ない映画作家の葛藤が、この映画には溢れかえっている。その血の滲むような葛藤が伝われば伝わるほど、観客は物語のゆくえから目が離せなくなる。どう決着をつけるのか? あるいは決着などつけられないのか?

 復讐を誓ったスカーレットの道行きは、物語に突然入り込んでくる救急隊員・聖(CV:岡田将生)の異分子的存在にも影響され、迷いと惑いに彩られていく。いつしか彼女の旅は「何を信じるか」によって命運を左右されるスリリングなドラマになっていくが、それはまさに私たちの人生、あるいは人類の未来についてのメタファーとも言える。ハムレットでは成し得ず、スカーレットだからこそ辿り着けた結末とは何か? ぜひとも劇場で見届けてほしい。

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