『ルックバック』『チェンソーマン』の片鱗も 『藤本タツキ 17-26』で知る藤本タツキの原点

公開中の劇場版『チェンソーマン レゼ篇』が大ヒットしているなか、同じく漫画家・藤本タツキ原作のアニメーション作品『藤本タツキ 17-26』が、2週間限定で劇場公開ののち、Prime Videoで配信リリースされた。
これは、藤本タツキが17歳から26歳までに描いた読み切り作品を収録した、『藤本タツキ短編集 17-21』、『藤本タツキ短編集 22-26』2冊に収録された短編8作品をアニメーション化したもの。製作を担当したのは、ZEXCS、ラパントラック、GRAPH77、100studio、スタジオカフカ、P.A.WORKSという、気鋭のスタジオだ。
こういった、漫画家の初期からの短編を一気に映像化する企画は、異例中の異例といえる。成立したのは、やはり劇場公開された読み切り原作のアニメ作品『ルックバック』が、短い上映時間ながらロングランを果たした興行的成功ゆえだろう。短編集という性質ゆえ、スタジオを分散させることで製作期間を短縮させられる利点があったとも想像できる。
そうやって生まれただろう、特異な本シリーズ『藤本タツキ 17-26』には、だからこその相応かつ特異な楽しみ方がある。ここに収められているのは、連載作品『ファイアパンチ』を挟んで、2019年より『チェンソーマン』が連載開始される前までの短編作品群。そこには、藤本タツキの作家性が色濃く反映されているはずである。よく、「初作品にはその作家の“核となるもの”が込められている」などと言われることがある。その考えでいくと、これらの作品から彼の“原点”とは何なのかが推し量れるというものだ。
それだけでなく、この作品群からは藤本タツキ個人の精神性すら読み取れそうな瞬間もある。もちろん、個人の本当の心情は本人にしか分からない。だが、ここはあえて本シリーズだからこそできる側面から“藤本タツキ”の実像を予想し、掘り下げてみる読み方を試みてみたい。
まず気づくのは全ての作品に、社会のアウトサイダー、変人・奇人、もしくは“人でないもの”が登場するということ。つまり“周縁の存在”だらけだということだ。現実と地続きでありながら、確実に中心から外れている者たちの物語が描かれている。それらの存在こそ、自身に周囲との距離や“異質さ”を感じ取っていた若い時代の藤本自身の投影なのではないか。
最初の作品は、漫画賞に初投稿したという一編『庭には二羽ニワトリがいた。』。17歳の作品ということは、高校在学中に描いた作品だと考えられる。ストーリーは、地球が宇宙人に侵略され、人類のほとんどが食糧にされた世界で展開する。学校では、人間であることを隠したキャラクターが、ニワトリの格好をして学校内で飼育されている。もし人間であることを知られれば、すぐにでも食われてしまうのである。
このキャラクターはまるで、描き手自身の孤独な精神を象徴しているかのようだ。理不尽な迫害を避けるため、学校では自分ではない存在を装い、周囲に溶け込もうとする。こういった集団生活のなかでのサバイブの実感が、このストーリーに投影されて描かれているように思える。藤子不二雄の自伝的漫画『まんが道』の時代ほどではないのだろうが、クリエイティブな才能が学校という場でなかなかプラスにはたらかないことは、このタイプの学生であれば少なからず経験してきたはずである。それは、周囲の圧力から登場人物が漫画を描くことをやめてしまう描写がある『ルックバック』からも明らかだ。




















