『IT/イット ウェルカム・トゥ・デリー』が描く新たな恐怖 ムスキエティ姉弟インタビュー

スティーヴン・キングの原作小説をもとに映画化され、全世界興行収入7億ドルを超える大ヒットを記録した2017年のホラー映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』。2019年には続編『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』が公開され、完結を迎えた。そんな大人気シリーズの前日譚となるHBOオリジナルテレビシリーズ『IT/イット ウェルカム・トゥ・デリー "それ"が見えたら、終わり。』が、U-NEXTにて独占配信中。映画2部作に続き製作総指揮・監督を務めたアンディ・ムスキエティと、製作総指揮を務めたバルバラ・ムスキエティの2人にインタビューを行い、映画版とドラマ版の違いや、ペニーワイズ役のビル・スカルスガルドについて話を聞いた。
新たな謎を提示する『ウェルカム・トゥ・デリー』
ーー『IT/イット ウェルカム・トゥ・デリー "それ"が見えたら、終わり。』では、ペニーワイズの起源が描かれています。今回、その「歴史」や「起源」を掘り下げるにあたって、特に重視した点はどのようなところでしょうか?
アンディ・ムスキエティ(以下、アンディ):本作を企画する上での出発点は、原作小説の中で未解明のまま残された多くの謎でした。原作の読者や映画の観客の多くが、「ペニーワイズとは何者なのか」「“It”はどこから来たのか」「何を求めているのか」といった大きな疑問を抱いています。本シリーズは、そうした問いをさらに深く掘り下げたいという思いから生まれたものであり、その過程で、過去の“サイクル”においてデリーで生きた人々の姿や、彼らがモンスターとどう対峙してきたのかを描いています。物語には、あえて逆行的に展開する長いストーリーアークがあり、それには明確な意図があります。ただし、それを今はまだ明かすことはできません。じわじわと明らかになっていく仕掛けだからです。このシリーズは、原作で提示された多くの謎に答えを与えると同時に、新たな謎を提示する作品になっています。
ーー今のタイミングで映像化することになった理由を教えてください。
バルバラ・ムスキエティ(以下、バルバラ):タイミングというのは、いつもそうなるものなんですよ(笑)。でも今回、この作品を作ることには、とても重要な理由があります。このシリーズに登場する街の人々は、“恐怖”に支配され、麻痺してしまい、悪に立ち向かうことが難しい。けれど、今の現実の世界にも“悪い奴ら”はたくさんいます。だからこそ、私たちはコミュニティとして“戦うことをやめてはいけない”ということを思い出す必要があるんです。
ーー映画版の『IT/イット』をテレビシリーズに移行する際のプロセスについて、もう少し詳しく教えてください。
アンディ:長い話になるのですが、僕たちはこれまでテレビ作品を作ったことがなく、挑戦は「この物語を語りたい」という思いだけでした。このシリーズは“ミニルーム”と呼ばれる少人数の脚本チームで開発したのですが、ミニルームではアイデアがあふれ出ていて、本当に映画以上のことをやりたかったんです。2時間の映画だと、より大きな物語を伝えたいときに制約がありますから。だから、テレビ制作に手を出すのはワクワクしましたが、正直言って構造がどうなるのか全然わかっていませんでした。(製作総指揮の)ブラッド・カレブ・ケインやジェイソン・フュークスと一緒にミニルームで作業することで、しっかり構造化できるようになりました。8時間分のテレビとなると、やりたいことは何でもできると思うんですが、結局は映画と同じで、整合性とプロットのためにいくつかのアイデアを削らなければなりません。でも最終的にはうまくまとめることができました。
ーー全く異なる挑戦に取り組む中で、どのような喜びや課題がありましたか?
アンディ:最終的には、これも大きな映画を作っているのとあまり変わらないと理解しました。もちろん、開発期間は長くなります。その分、キャラクターのアークをより細かく、ニュアンス豊かに探求できるのが非常にやりがいがあります。たとえばマージ・トルーマン(マチルダ・ローラー)の物語。最初はあまり良い人物として描かれないのですが、そこから成長していくアークがあります。映画だと、キャラクターのアークにすべてのニュアンスを入れるのは難しい。でも長尺のテレビフォーマットだと、そうした細かい変化や複雑さを描けるので、本当にやりがいがあります。
ーー第1話からすでに容赦のない恐怖が描かれていました。映画版よりもさらに大胆な印象です。ホラーの描き方で、特に意識したことや、既存のホラー表現に対して挑戦した部分はありますか?
アンディ:基本的にほかの作品を参考にすることはありません。自分自身、もっと深く、もっと強烈にやりたいという気持ちがありました。「自分が観たいものを撮る」というのが自分のやり方なんです。自己中心的に聞こえるかもしれませんが、すべては自分の内側から出てくるもの。そしてこのシリーズで恐怖の度合いが高まっているのは、結局のところ「自分自身をどれだけ怖がらせられるか」という個人的な挑戦の結果なのです。

























