『小さい頃は、神様がいて』は『魔女の宅急便』と重なる? 岡田惠和が描く女性たちの葛藤

『小さい頃は、神様がいて』『魔女宅』共通点

「小さい頃は、神様がいて不思議に夢を叶えてくれた。大人になっても、奇跡は起きるだろうか?」

 そんな主人公・渉(北村有起哉)のモノローグで幕を開けた『小さい頃は、神様がいて』(フジテレビ系)。この春、13年にわたる『最後から二番目の恋』シリーズを完結させた岡田惠和の完全オリジナル脚本で、レトロマンション「たそがれハイツ」の住人である三家族が織りなすホームコメディーだ。

 タイトルは岡田が、“ユーミン”こと松任谷由実の名曲「やさしさに包まれたなら」の一節から着想を得たもの。そこには、「人が生きていくことは大変で、うまくいかないことがほとんど。でも、生きていくしかない。一人でも大変なのに、誰かと一緒に生きることはもっと大変。でもだからこそ、楽しい。そんな生きることの大変さを、でも、つらそうではない言葉にして、タイトルにしたい」との思いがあったという(※1)。

『魔女の宅急便』©1989 Eiko Kadono/Hayao Miyazaki/Studio Ghibli, N

 ふと思い出したのは、同曲がエンディングテーマとして使用されている映画『魔女の宅急便』だ。1989年に公開されたスタジオジブリ作品で、13歳の少女・キキが一人前の魔女になるため、両親のもとを離れて見知らぬ土地で奮闘する姿が描かれる。筆者は3年前、当サイトに寄稿したコラム(※2)で、「本作は一人の女の子が『神様がいて不思議に夢を叶えてくれた』幼少期から飛び出し、『大人になっても奇跡は起こる』ことを知って成長していく姿を描いた物語だ」と書いた。

『魔女の宅急便』は大人になった今こそ見返したい名作 キキが経験する“面倒くさい”の意義

『プロフェッショナル 仕事の流儀』(2013年放送/NHK総合)の密着取材で四六時中、面倒くさい、面倒くさいと言いながら仕事をす…

 贈り物を開けるときのようなワクワクした気持ちで港町・コリコに降り立ったキキだが、歓迎してくれるとばかり思っていた街の人から白い目で見られ、配達の仕事で苦労して荷物を届けたのに感謝されるどころか冷たくあしらわれるわ、初めて仲良くなった男の子は他の女の子たちと遊んでいるわ、もやもやすることばかり。キキは心がすっかり折れて、魔法が使えなくなってしまうが、最後はいろいろな人に支えられ、魔法の力で人を救ったことでみんなから称賛される。大人になってから改めて観ると、その奥深いストーリーに感動するのではないだろうか。ファンタジーの皮を被っているが、実は夢見がちな少女が現実の厳しさを目の当たりにし、落ち込みながらも自分の強みを生かして居場所を作っていく普遍的な成長譚なのだ。

『小さい頃は、神様がいて』©︎フジテレビ

 本作は『魔女の宅急便』と雰囲気が似ている。根っからの悪人が存在せず、不器用だけど優しい人たちが繰り広げる世界はファンタジーのようだけれど、それぞれが切実な悩みや葛藤を抱えていて、そこに視聴者が自分を重ねざるを得ない“現実”がある。渉の妻・あん(仲間由紀恵)も、かつてはキキのような少女だった。受験に失敗し、仕方なく滑り止めの大学に入ったあん。努力しても報われないことはあるし、自分はさして特別な人間ではないことをそのとき、実感したのではないだろうか。それでも現実との折り合いをつけながら前に進み、やりがいのある仕事に就いた。

 しかし、渉と結婚し、出産を機に会社を辞めてから人生が一変する。2人の子ども、順(小瀧望)とゆず(近藤華)はかわいいし、渉に対してイライラすることはあっても、さして不満があるわけではない。だけど、母として生きるだけの人生に耐えられなかったあんは、渉と交わした「子どもが二十歳になったら離婚する」という約束を支えに生きてきた。

『小さい頃は、神様がいて』©︎フジテレビ

 あんの葛藤に若者世代は、あまりピンとこないのではないだろうか。今や日本の共働き世帯の割合は約7割に達していて、出産後も働き続けている女性は多い。子育てと仕事を両立しやすい環境も整備されつつあり、子どもが産まれたからといって、自分の人生が終わったと感じる人は少ないだろう。

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