『あんぱん』“エモさ”と“メロさ”の前半戦を総括 後半戦の鍵は“史実”をどう昇華するか

まず、主人公ののぶ、そしてのちに彼女の生涯のパートナーとなる嵩の、それぞれの「動機付け」が弱い。のぶが小学校の教師を目指した動機として置かれたエピソードといえば、小さい頃から足が早く走るのが好きだったこと。パン食い競争で走る喜びをさらに実感したこと。子どもたちにラジオ体操を教えた。だから子どもたちに体を動かすことの楽しさを教えたい。これらの要素を単純に羅列しただけで、果たしてドラマとして「動機」になり得るのだろうか。「動機」とされる各シーンにのぶの心情の変化が乗っていない。「子どもたちと接すること、教えることが好きでたまらない」尽きせぬ熱情というものが、残念ながらのぶからは感じられなかった。
また、のちに将来国民的アニメ作品の原作者となる嵩の、創作への情熱があまり感じられない。作家の素養がある人物ならではの、物事に対する独自の視座が見えてこない。絵を描くことが好きで好きでたまらず、隙あらばスケッチブックやノートの余白に鉛筆を走らせるシーンもなかった。しかし第68話で健太郎が嵩に万年筆をプレゼントしながら、「漫画描けばよかろうもん。東京、下宿おった頃、しょっちゅう描きよったろ?」と、後付けの台詞で「あったこと」にしてしまう。このドラマはこの手の処理の仕方がとても多い。

のぶは高知新報の就職試験を受け、県内初の女性記者の1人として採用され、入社後数週間もしないうちに彼女の書いた記事が採用される。しかし果たして、のぶの少女時代と女子高等師範学校時代に「記者としての素養」が描かれていただろうか。他者とは一線を画す目の付けどころや観察眼、文才が描かれただろうか。質問力や会話力に秀で、相手の本音を引き出す才があっただろうか。新聞に目を通し、世の中の動きに興味を持つシーンがあっただろうか。
戦中戦後を通じて描かれた「正義は逆転する」というこのドラマの“コア”の部分の描写にも疑問を抱かずにいられない。のぶは師範学校時代に周囲から「愛国の鑑」と称される軍国少女となり、愛国教師となるも、敗戦と同時に世の中の価値観が180度変容し、戦時中に自らが生徒たちに施してきた愛国教育が誤っていたと自責の念にかられる。これが本作のプロットであるが、実際のぶの「忠君愛国」の描写は実に中途半端だった。
戦争の恐ろしさは、軍部と国家の洗脳により「普通に暮らすの普通の人」が思考停止に陥り、全体主義に傾倒していくこと。そして「敵人を殺せ」という大義名分に心酔し熱狂していくことだ。『あんぱん』はそうした“狂気”の描き込みが圧倒的に足りなかった。
シナリオの鉄則として「物語の始まりはアンチテーゼから」と言われる。伝えたいメッセージの「反対側」を克明に描けば描いただけ、それが反転したときに人物の心も視聴者の心も大きく動く。バネは強く引けばそれだけ強く前に飛び出すし、「引き」が弱ければ小さな振動しか起こらない。
昭和20年7月4日、高知に大規模な空襲が行われるも、のぶの自宅は無傷だった。そののぶが自宅から離れた一角にある被害の大きい焼け跡までわざわざ出向いて、瓦礫の片付けを手伝うでもなく徘徊しながらセンチメンタルに浸るシーンはまるで物見遊山のように見えてしまった。戦後ののぶはそこまで食べるのに困った様子はなく、飢えを経験する描写もない。

物資も仕事もない時代にあって、希望する職業につき、新調した綺麗なスーツを身に纏うのぶ。「取材」と称して、明日の命の保証もなく、食うや食わずの戦災孤児たちに「(孤児たちが貪るサツマイモを差して)おいしい?」「暖こうしうて寝れゆう?」と質問をするシーンは実に不可思議だった。
戦後間もなく、とても治安が良いとは言えない闇市でのぶと琴子(鳴海唯)が、女性2人だけで仕事帰りにカストリを煽るシーンにも違和感があった。「世の中」のあり様というのは当時の行動様式や社会規範からこそ見えてくる。女性というだけで色眼鏡で見られ、思うように行動できない不自由さがあったからこそ、たくさんの女性たちがそれらと戦い、時間をかけて少しずつ自由を獲得していったのだ。
ともあれ、第15週「いざ!東京」からは、のぶが高知新報の同僚として嵩と出会い、史実と重なるターンが始まる。物語はこれからが本番といったところ。後半では魅力的なキャスト陣がいよいよ本領を発揮して、のぶが能動的に自分の人生を切り拓いていく姿、そして嵩の創作の神髄が描かれることを願ってやまない。
参照
※ https://realsound.jp/movie/2025/05/post-2025025.html
■放送情報
2025年度前期 NHK連続テレビ小説『あんぱん』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00〜8:15放送/毎週月曜〜金曜12:45〜13:00再放送
BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜8:15〜9:30再放送
BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:今田美桜、北村匠海、加瀬亮、江口のりこ、河合優実、原菜乃華、細田佳央太、高橋文哉、中沢元紀、大森元貴、二宮和也、戸田菜穂、浅田美代子、吉田鋼太郎、竹野内豊、妻夫木聡、阿部サダヲ、松嶋菜々子
音楽:井筒昭雄
主題歌:RADWIMPS「賜物」
語り:林田理沙アナウンサー
制作統括:倉崎憲
プロデューサー:中村周祐、舩田遼介、川口俊介
演出:柳川強、橋爪紳一朗、野口雄大、佐原裕貴、尾崎達哉
写真提供=NHK






















