『あんぱん』“エモさ”と“メロさ”の前半戦を総括 後半戦の鍵は“史実”をどう昇華するか

NHK連続テレビ小説『あんぱん』が折り返し地点を迎えた。7月4日に放送された第14週「幸福よ、どこにいる」第70話では、昭和21年、のぶ(今田美桜)が勤める高知新報に嵩(北村匠海)が入社試験を受けに来るところで終わった。これからいよいよのぶと嵩の人生が交わり、翌第15週では「東京編」がスタートする。
『あんぱん』は国民的アニメ『アンパンマン』の原作者として知られるやなせたかしとその妻・暢さんをモデルとし、大胆に再構成したフィクションだ。史実では、やなせと暢さんは戦後、高知新聞社で同僚として初めて出会う。やなせは実父を亡くした幼少期に東京から高知県長岡郡後免町の伯父の家に引き取られる。一方、暢さんは、生まれ育ちも大阪である。しかし、『あんぱん』の嵩とのぶは高知県の架空の街「御免与町」で小学校からの幼なじみという設定だ。

つまり本作の前半、のぶパートは9割方フィクションということになる。少女時代から高知新報に勤めるまでののぶに関して、小松暢さんの史実に沿っているのは父親が商社勤務であったこと、最初の結婚相手が船会社に勤めていたこと、夫は戦後間もなく病死していること、戦後高知の新聞社に就職したこと、そして学生時代から足が早く活発で「韋駄天おのぶ」と呼ばれていたこと。これぐらいだ。
それ以外ののぶの人物造形は自由に膨らませている。というのも、やなせたかしに関する資料は自伝・評伝・エッセイ・インタビューなど豊富に現存するものの、暢さんに関する資料はほとんど残っていないというのだ。
脚本家・中園ミホが各所で応じたインタビューでは、中園が幼き日に父を亡くし、やなせたかしの詩集に救われてファンレターを送り、そこから文通が始まったという逸話が明かされている。中園は、のぶの少女時代から新聞社に勤めるまでの物語をほぼフィクションで書くことについて、このように語っている。
「やなせさんに「子供の時、どんな子でしたか?」と聞いたことがあるのですが、「気が弱くて、あまり男の子っぽい遊びはせずに、女の子の友達がいた」とおっしゃっていたんです。お世辞だとは思いますが、「ミホちゃんみたいに、元気のいい女の子だった」ともおっしゃっていて…。後の暢さんがもし近所に住んでいて、やなせさんと幼馴染だったらこういった会話をしていたんじゃないかというのを想像しながら、オリジナルで作らせてもらいました」(※)
少年時代のやなせは「誰かにこう言ってほしかったのではないか」「こんなふうに背中を押してほしかったのではないか」という中園の“想像の翼”が、幼なじみの設定であるのぶというキャラクターを形作っていることがうかがえる。幼き日の嵩(木村優来)が母・登美子(松嶋菜々子)を訪ねたのに冷たくあしらわれ、途方に暮れていたところにのぶ(永瀬ゆずな)が現れてあんぱんを差し出すシーンや、進路を決めた嵩にのぶが「嵩は絵を描くために生まれてきた人やき」と言って勇気づけるシーンなどには、中園の“願望”が強く現れているように見える。
5月26日に放送された『100カメ “朝ドラ”あんぱん 日本の朝に元気を届ける!舞台裏』(NHK総合)によれば、本作の演出チームは「ロマンチスト集団」とあだ名され、ロマンチックな画作りにこだわっているようだ。ときには「あざとさ」もいとわないアグレッシブな演出で“エモーショナル”な映像作りに注力していることが、撮影現場に潜入したドキュメンタリー映像から伝わってきた。

たしかに『あんぱん』の画は扇情的だ。『100カメ』で紹介された蘭子(河合優実)の中に豪(細田佳央太)への恋心が芽生える「下駄の鼻緒」のシーン。のぶが高知の美しい自然を駆け抜ける爽快なシーン。重ねて登場するのぶと嵩のシーソーのシーン。戦争が始まった不安を打ち消そうとするかのように海岸で束の間の青春を謳歌するのぶ、嵩、千尋(中沢元紀)、メイコ(原菜乃華)、健太郎(高橋文哉)。途中からこのドラマを観始めた視聴者や、飛び飛びで観ている視聴者にも「なんかこのドラマ面白そう」「エモい」「メロい」と思わせる仕掛けが巧みだ。
部分部分を切り取れば画が華やかで、俳優陣のパフォーマンスも素晴らしい。ストーリーはポンポンとハイスピードで展開するし、目を引く「イベント」が目白押しだ。こうした作劇は、とりわけショート動画に慣れ親しんだ若年層の視聴者ニーズに応えているということなのだろう。しかし、肝心な「お話」の部分はどうだろうか。大変恐縮だが、どうにも個々の人物の性質と心情の掘り下げ、テーマの深掘り、ストーリーの精製が甘いように感じられてならない。





















