『あんぱん』のぶのモデルが“ドキンちゃん”である意味 “グレー”を表現する今田美桜の強み

NHK連続テレビ小説『あんぱん』第14週「幸福よ、どこにいる」(演出:橋爪紳一朗)では、のぶ(今田美桜)をはじめとして女性たちの戦後の生き方が描かれた。高知新報で月刊誌を作ることになるのぶ、のぶと同じく女性記者募集で入った琴子(鳴海唯)、自分の生き方を模索しはじめたメイコ(原菜乃華)、あり得たかもしれない自分を語るくら(浅田美代子)、それぞれの人生訓。
のぶは、亡き夫・次郎(中島歩)が残した「自分の目で見極め 自分の足で立ち 全力で走れ 絶望に追いつかれない速さで」を胸に悲しんでいる間を作らず、前を向いて、取材に励む。のぶは、戦時中、子どもたちに軍国主義を教育してしまった反省があるのか、焼け跡をうろつく子どもたちが気になって取材を続ける。

のぶと同期入社した琴子は結婚相手を探して新聞社に入った。女学校を出てから花嫁修業していたが戦争で男性が少なくなり、結婚相手が見つからない。27歳は「立派な行き遅れや」と焦り、職場では楚々とした態度をとり、男性社員にコーヒーをいれたりボタン付けをしたりしている。でも実はお酒に強くあっけらかんとした豪快な人物だ。つまり「猫をかぶって」生きている。そんな琴子の飲み屋での社交が生きて、のぶの月刊誌の広告を質屋から出してもらうことに成功する。ある意味、“女”を使っての立ち回りがうまくいってるパターンである。これで結婚相手が見つかれば万々歳だが、どうなるだろうか。
メイコは朝田家の末っ子として苦労知らずで天真爛漫に生きているように見えたが、姉ふたりと自分を比べて、甘やかされたみそっかすだとコンプレックスを感じていた。このままではいけないと急に動き出したのはラジオから流れてきた『のど自慢』を聞いてのこと。若い女性が上手に、当時のヒット曲「リンゴの唄」を歌っていることに刺激を受けて、自分も挑戦してみようと考える。メイコはかつてよさこい節やアンパンを売るときの歌などを歌って、澄んだ声を響かせていたので、ポテンシャルはある。
「うち戦争のせいにするのはいやや。日本が負けたきってうちまで負けてしまうがはいやや。何かに挑戦してみそっかすの自分を変えたい。いっぺんでええき心が震えるようなことをしてみたいがよ」
メイコものぶに似て負けず嫌いというか、負けない状況を自分で作り出そうとしていた。
実家を飛び出し、のぶの家に居候しながら働いて、東京行きの旅費を作ることにした。最初はくらに旅費を出してもらったのだが、それだと結局甘えていることになると考え直したようだ。すばらしき独立精神。これまで家事の手元がおぼつかないのが気になっていたが、末っ子で甘やかされている設定だったのかもしれない。外に出て働くことでちゃんと手を動かせるようになることを期待する。

メイコの冒険を応援するくらは、「あの子は昔のあてなが」「あてができんかった冒険、メイコにしてほしがったがよ」と昔語りをはじめる。それは夫の釜次(吉田鋼太郎)も知らなかった事実だった。若かりし頃、映画を観て、「銀幕の向こう側にどういても行ってみとうなってね」と思った過去があった。京都の撮影所に行って自分を試してみたら今頃、くらは女優になっていたかもしれない。京都の撮影所といえば、太秦と思うが、京都ではじめてできた撮影所は二条城のそばにあった。明治43年(1910年)に横田永之助の横田商会によって、二条城撮影所が作られ、その年『忠臣蔵』が撮影された。『あんぱん』は目下1946年。1910年は36年前。くらが60歳くらいとしたらちょうど24歳で、いまのメイコと同じくらいだろう。メイコのようにいままで何も考えずに結婚して家事をする人生に疑いがなかったものの、高知の映画館に映画を観に行って、ふと映画に憧れを抱くようになったのであろうか。女性が映画俳優として活躍するのはまだ先だが、もしかしたらくらが日本初の映画女優になるという世界線が存在するかもしれないと夢が広がる。演じている浅田美代子が1970年代、アイドルとして一斉を風靡したという面影が、くらの可能性を拡張する。





















