前3部作ファンは落胆? 『フィアー・ストリート:プロムクイーン』が跳ね除けた呪いの本質

『フィアー・ストリート』新作を3部作と比較

 Netflix配信のホラー3部作『フィアー・ストリート』は、呪われた町「シェィディサイド」を舞台にした映画シリーズだ。複数の時代で惨劇が巻き起こる、『Part 1:1994』、『Part 2:1978』、『Part 3:1666』が配信され、好評を博した。

 今回リリースされた新作『フィアー・ストリート:プロムクイーン』は、監督を『最悪の選択』(2018年)のマット・パーマーに変更し、1988年のシェイディサイドの高校でおこなわれる「プロムパーティー」を舞台とした一作だ。

 しかし、現時点での評価は芳しくなく、アメリカの大手批評サイトでは、批評家、一般の観客ともにスコアが低迷している状態。評価の高かった3部作に続く作品だっただけに、期待はずれだと感じた観客が少なくなかったようだ。

 とはいえ、本作『フィアー・ストリート:プロムクイーン』にも見どころはある。ここでは、本作と3部作を比較しながら、新たな『フィアー・ストリート』が表現しようとした内容を明らかにし、同時にそこから理解することのできるアメリカ文化についても解説していきたい。

 もともと『フィアー・ストリート』は、「ヤングアダルト(YA)小説界のスティーヴン・キング」と称される、R・L・スタインの大ヒットシリーズだ。主に1990年代に盛んに読まれ、2000年代以降も断続的にシリーズ作品が発表され続けてきた。

 主な読者層は、あまり書籍を読むことに慣れていない学生たちだ。中高生くらいの年代が興味のありそうな、学校や若者の人間関係や、とくに「ジョック」などと呼ばれる体育会系の世界を主軸の要素として、むごたらしい殺人事件や呪いの力が生み出す悲劇などの刺激的なスラッシャーを、平易な表現で扇情的に描いている。親としてはあまり愉快ではないかもしれないが、活字嫌いの我が子が本を読んでくれるならばと、本シリーズを読むのを黙認しているケースも少なくないようだ。

 3部作の第1作『フィアー・ストリート Part 1: 1994』(2021年)の冒頭では、ホラー小説が登場して「ただのゴミ。低俗なホラー本」というセリフが飛び出すが、読書家からすると『フィアー・ストリート』はまさに、そのようなイメージだということが示されている。とはいえ、小説を読まない層にページをめくらせる力を持っているという意味で、小説『フィアー・ストリート』は、大きな文化貢献をしていることも確かなのだ。

 Netflixの3部作では、そこに現代的な要素である、ジェンダーマイノリティやシスターフッドの要素を投入することで、『フィアー・ストリート』の世界に現在の目線で鮮やかな色を加えることに成功している。本作の評価が低くなってしまった大きな要因は、この3部作で花開いた要素が希薄だったことにあったのかもしれない。

 ただ、本来の『フィアー・ストリート』は、そういった要素が前面に出るようなシリーズというよりは、別の要素が主題となる場合が多いのだ。その具体的なテーマはこれから論じていくが、本作はそういった意味で、むしろ原作のテイストに回帰した一作だといえる。

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる