『あんぱん』は一体何を描こうとしているのか 朝ドラでは異例の“ヒーロー”を問う物語に

「正義はある日突然逆転する。逆転しない正義は献身と愛です」(※1)
やなせたかしは自著『わたしが正義について語るなら』(ポプラ新書)でそう語っている。
いよいよ軍靴の音が近づいてきたNHK連続テレビ小説『あんぱん』。やなせたかしとその妻・小松暢の人生をモデルに、この物語は何を問おうとしているのか。改めて考えてみたい。
『あんぱん』はヒーローとは何かを問う物語

汚いものが苦手で、顔が濡れると力が出ない。やなせたかしの生み出したアンパンマンは決して無敵のヒーローではない。むしろやなせ自らアンパンマンのことを「史上最弱のスーパーマンかもしれませんね」(※2)と表現している。
もともとアンパンマンは、やなせ自身の正義のヒーローとは何かという問いから誕生した。終戦後、世間で人気を博していたのはスーパーマンやスパイダーマンといった悪党をやっつける強いヒーロー。だけど、彼らは決して腹を空かせた子どもを救うことはしない。戦地で餓えの恐ろしさを知ったやなせは「まずは餓えた子どもを助けることが大事だと思った」(※3)。そこから、自らの顔を差し出すアンパンマンが生まれた。
つまり、アンパンマンとは従来のヒーロー像に対するアンチテーゼであり、やなせたかしのヒーロー論でもあった。『あんぱん』もまたヒーローとは何かを問う物語へと発展していきそうな気配がする。
今、最もヒーローという言葉から遠いのは、他ならぬやなせをモデルとした嵩(北村匠海)だろう。勉強はダメ。運動もからっきし。特技の絵も、それで食べていくだけの気概はない。
母・登美子(松嶋菜々子)から向けられる愛情は、あくまで亡き父・清(二宮和也)の面影を見ているだけ。伯父夫婦(竹野内豊/戸田菜穂)からは大切に育てられているが、実子ではないという負い目から遠慮は拭えず、優秀な弟・千尋(中沢元紀)へのコンプレックスは募る一方。やなせは思春期の自らのことを「孤独で寂しい気持ちは絶えずあって」「相当グレて危険な精神状態にありました」(※4)と振り返っているが、その言葉通りの繊細で内気な少年として嵩は描かれてきた。

一方、最もヒーローという言葉に近いのは、ヒロインののぶ(今田美桜)だ。「ハチキンのぶ」のあだ名そのままに、快活で猪突猛進。何より人々に勇気を分け与える存在として、のぶは描かれている。
わかりやすいのが、女子禁制のパン食い競争。のぶが無断で飛び入り参加を果たしたのは、何も自分のためではない。自分と同じようにパン食い競争に出場したいと思いながら、女子だからという理由だけで参加を認められなかった幼い女の子のために、のぶは全力疾走した。道は、自分の手で切り開ける。そのことを次の世代に証明するために、のぶはルールを破ったのだ。
もっと言えば、嵩にとってののぶは、自分を肯定し勇気づけてくれる存在としてあり続けている。都会育ちを妬まれいじめを受けたときも、母に捨てられた絶望をあんぱんが埋めてくれたときも、のぶがいた。そして、ようやく「絵を描いて生きていく」と決めたその覚悟を打ち明けたときも、のぶはすべてを見越していたように「嵩は絵を描くために生まれてきた人やき」と微笑んだ。嵩の勇気100倍は、いつものぶからもらったものだった。
人間の弱さを象徴するのが嵩なら、人間の強さを具現化したのがのぶ。ここまでは、そうしたストーリー運びであった。だが、どうやらそんな単一的なヒーロー論に終始するつもりはないようだ。





















