『ドラゴンボールDAIMA』をもう一度振り返る 思い出させてくれた“鳥山明らしさ”

アニメ『ドラゴンボールDAIMA』(以下、『DAIMA』)が完結した。最終回の放送日が2025年3月1日。作者の鳥山明が急逝したのがちょうど1年前の2024年3月1日だったこともあり、改めて“『ドラゴンボール』とは何だったのか?”と考えさせられた。

『週刊少年ジャンプ』(集英社)で1984年から1995年にかけて鳥山明が連載した『ドラゴンボール』は、尻尾の生えた少年・孫悟空と天才的な頭脳を持った少女・ブルマが、7つ集めると願いがかなうと言われているドラゴンボールを求めて冒険の旅に出るという、『西遊記』をベースにしたファンタジー漫画として始まった。
作者の鳥山明は『ジャンプ』本誌でギャグ漫画『Dr.スランプ』を連載し大ヒットさせていたが、『Dr.スランプ』と序盤の『ドラゴンボール』の世界は地続きでとても明るく牧歌的だった。

しかし『ドラゴンボール』は連載が進むにつれて、悟空の前に強敵が次々と現れて戦うバトル路線に舵を切るようになり、バトルのインフレが加速していく。
また、バトル中心になることで鳥山明の絵柄も変化し、『Dr.スランプ』と地続きだった、丸っこくディフォルメが施されたかわいらしいキャラクターだった悟空たちは等身が高く筋肉がガッチリとしたリアルなタッチへと変わり、物語もシリアスでハードなものになっていった。そして、当初は「何でも願いがかなう」という夢のある存在だったドラゴンボールは、悟空や悟空の仲間が死んだときの蘇生アイテムとして定着していった。
バトル路線に舵を切ったことで『ドラゴンボール』は大ヒットし、他の『ジャンプ』漫画も本作のバトル路線を踏襲することで成功していったが、その影響力の高さゆえに功罪も大きかった。筆者は1976年生まれで『ドラゴンボール』は小学生の頃から読んでいた。あのバトルの過剰なインフレは、バブル景気で盛り上がっていた昭和末から平成初頭の日本の空気を反映していたのではないかと今は思う。

それゆえ『ドラゴンボール』や当時の『ジャンプ』漫画を読み返すとバトルの背後にある殺伐とした時代の気分を感じて複雑な気持ちになる。おそらく『ドラゴンボール』や『ジャンプ』漫画が批判された背景には、そういった時代の気分に対する強い反発もあったのだろう。その空気の中で育った自分にとって、『ジャンプ』漫画のバトルは幼少期の心象風景そのものであるため、擁護したい気持ちもあるのだが、何よりバトルのインフレによる殺伐化に疲弊していたのは、鳥山自身だったように感じる。
最終章となる魔人ブウ編は、バトルが激しくなる一方でコミカルな描写が増えており『ドラゴンボール』を初期の明るく楽しい世界に戻そうと腐心している痕跡が伺える。
バトルの中に散りばめられたギャグは、連載当時は違和感のほうが大きく、邪魔だと思っていたのだが、いま読み返すと肥大化したバトル路線に対して作者自身がブレーキをかけてなんとか牧歌的な世界に軟着陸させようとしていたように感じた。

『ドラゴンボール』連載終了後、鳥山は心身ともに疲弊したのか、短い作品をいくつか描いた一方、長編漫画は描かなくなっていた。
しかし、2013年の劇場アニメ『ドラゴンボールZ 神と神』以降は、原案、脚本、キャラクターデザインといった形で『ドラゴンボール』の続編アニメに積極的に関わるようになり、アニメを通して『ドラゴンボール』の世界を広げていた。





















