『恋するムービー』“恋愛映画”を超えた愛の名作 チェ・ウシク×パク・ボヨンらが演技の饗宴

Netflixでバレンタインデーの2月14日に全10話一挙配信された韓国ドラマ『恋するムービー』。本作は、主演のチェ・ウシク、パク・ボヨンのロマンスを主軸に、イ・ジュニョン、チョン・ソニのサブカップルのロマンスと、それぞれの心を占拠する喪失という過去からの再生を、映画の世界を舞台に描いたウェルメイド作品として愛されている。本稿では最終話までの物語をまとめてご紹介したい。(以下、ネタバレあり)
主人公を演じるチェ・ウシクは、1990年3月26日生まれの34歳で、2010年『トンイ』の端役等を経て、2011年に正式デビュー。『屋根部屋のプリンス』のチサン役で注目後、『ホグの愛』などでキャリアを重ね、映画『パラサイト 半地下の家族』で世界的人気を博す。『その年、私たちは』『殺人者のパラドックス』など、数々の作品に出演し、天才的な演技力と、バラエティ番組などで見せる愛嬌のある素顔が視聴者のみならず多くの俳優たちからも愛されている。本作では、両親を早くに亡くし、兄と支え合いながら生きる映画好きの青年コ・ギョム役を、繊細な感情演技で喪失感からの再生を体現してみせた。
チェ・ウシク演じるコ・ギョムは、両親を亡くし、キム・ジェウク演じる11歳上の兄ジュンと支え合いながら暮らしている。ギョムは、映画を観放題の環境で育ち、大の映画好きとして成長した。幼い頃のギョム(チェ・イェチャン)は、仕事で遅くなる兄ジュンを待つ間、ひとりで映画の世界に浸ることで現実の辛さを慰めていた。そして、わずか20歳にして、9歳の弟の面倒をみることを余儀なくされたジュンもまた、友を作ることも、恋をすることも、同僚との飲み会もすべての青春を犠牲にして、自分を全身全霊で頼る弟ギョムのために生きてきた。
キム・ジェウクが演じるジュンは、陰の主役ともいわれるほどの存在感で、全編を見終えて一番心に残ったのがキム・ジェウクだった。号泣させられたのも、キム・ジェウク演じるジュンと、チェ・ウシク演じるギョムとの兄弟愛。作品の中で20歳と言及されるジュンは、ここから、自分のやりたいことを「探して見つけて挑戦していく」年齢だ。それが、幼い弟の養育者となり、彼を生かすことがジュンの役目となり、ジュンの優先順位の一番は、弟を守り、弟が望むことを叶えることにあり、ジュン自身の望みや欲求は抑圧せざるを得ないのだ。ギョムが知るジュンの姿は、喜怒哀楽のどれもが「凪」のよう。感情は、ひとつを我慢すると全てが連動して、感情表現に乏しくなってしまうという、まさにそのさまだ。物語が進むにつれて、ギョムとジュンの関係が俯瞰から本質へと視点が変わっていく。愛さずにはいられない庇護する対象である弟と、親を喪った喪失感と、過酷な現実という重荷を背負った兄に同情し、心を揺さぶられてしまう。
ギョムは、映画界で働くことを夢見て、俳優オーディションにチャレンジし、エキストラとして現場入りするが、そこでパク・ボヨン演じるキム・ムビに出会い恋に落ちる。
パク・ボヨンが演じるヒロインのキム・ムビは、ギョムと同じく親を亡くしている。ギョムと違って父親(コ・ドンフン)だけだが、映画を愛する売れない映画監督だった父は、ムビと母ヨンジュ(キム・ヒジョン)をほったらかしにして映画作りにのめり込んでいた。自分に「映画=ムービー」という名前をつけた父、自分よりも映画を愛することを子供心に感じていたムビは、自分をおざなりにする父を憎んでいた。そんなある日、高校生のムビは、自分の誕生日に帰ってこない父に、帰ってくるように駄々をこねる。映画の過労がたたっていた父は、交通事故を起こし亡くなってしまう。その日からムビは、父を亡くした喪失感と、父を死に追いやったという罪悪感を持ち、人の心の複雑さや、人の思いの重さから距離を取るようになる。
両親を亡くしたギョム、父を亡くしたムビ、ともに喪失感を抱えている男女が出会い、恋に落ちるが、ここから恋が盛り上がっていくという矢先に、ギョムと突然連絡が取れなくなってしまうのだ。そこからふたりが偶然の再会を果たすのにかかった月日は、なんと5年間だ。もっとも偶然の再会ではなく、ギョムの方が意図的にムビの元へとやってくるのだが。
サブカップルの作曲家シジュン(イ・ジュニョン)と脚本家ジュア(チョン・ソニ)は、高校生から7年交際をするも、ジュアから別れを告げる。シジュンは、両親も兄も医者という家系で、音楽の道に進み家族から認められない孤独を抱える。才能を信じてくれるジュアの言葉を信じ、成功した音楽家になると努力するも、芽が出ずに鬱屈を抱えていた。ギョムとジュンの仲の良い兄弟と違い、冷たい兄からの言葉や仕打ちにシジュンは、ずっと傷ついてきたのだろう。さらに、唯一の拠り所であり、青春時代を支えてくれたジュアからの別れという大きな喪失感に直面する。
一方、「好きな人のことで頭がいっぱい」だったジュアは、シジュンのことが好きだからゆえに、後回しにしてきた「自分自身」を喪失していた。シジュンの食べる速度に合わせて自分が食べるメニューを選択し、彼の好きなサッカーを好きなフリをし、好みもすべて合わせてきたジュアは、自身のパーソナリティーを失くしていたことに気づく。そして、シジュンを自分の人生の運転席に座らせることを辞めて、自分の人生の道を進んでいくために別れを切り出すのだ。ある意味で、共依存に陥っていたカップルが、片方が自立することで、ふたりの関係に変化が訪れるというのはよくあることだ。ふたりの魂の成長速度が同じであれば、きっとそのまま歩むこともできたであろうが、初恋が実らずに、人生の大海原に漕ぎだすきっかけとして、心の宝石箱に(ときに黒歴史の場合もあるかもだが)それぞれが懐古できるよう置いておく甘酸っぱくもビターでもある愛の軌跡となる。


























