『メダリスト』師匠と弟子の視点がある意義 花田十輝が描く成長譚が“映像化の最適解”に

最近、誰かと雑談する機会があると必ず「『メダリスト』、観てる?」という言葉が口をついて出る。冬クールのアニメの多くが折り返しを迎える今、これほどまでに心を揺さぶられ、誰かと思わず語りたくなる作品に出会えたことに、喜びを感じている。
アニメ『メダリスト』は、フィギュアスケーターとして挫折を経験した青年・明浦路司とフィギュアスケートの世界に憧れを抱く少女・結束いのりの成長を描いたスポーツアニメだ。氷上に立つ少女たちの情熱と彼女たちの未来に全てを託すコーチたちとの深い絆は、何度も胸が熱くなるような瞬間を作り出していく。そして何より、1話約24分という制約のあるアニメという媒体でありながら、次々と増えていく登場人物たちの背景を実に丁寧に掘り下げていく脚本の手腕は見事というほかない……が、第1話のクレジットで花田十輝の名前を目にした瞬間、すぐに納得がいった。
「キャラクター関係は三角形から出発し、その後徐々に増やしていくという考えがベースにあるんです。佐藤順一さんがやった『美少女戦士セーラームーン』も最初は3人から始まって、そこから人数が増えていきますよね。『おジャ魔女どれみ』なんかもその流れでずっときていて、僕はそのスタンダードは正しいと思っているんです」
これは、アニメ作家による脚本論集『アニメーションの脚本術 プロから学ぶ、シナリオ制作の手法』(ビー・エヌ・エヌ)のインタビューの中で、花田が語った言葉だ。思えば『宇宙よりも遠い場所』や『ガールズバンドクライ』、『ラブライブ!』なども、この手法が見事に活かされている作品だ。
一方同名漫画を原作とする『メダリスト』は、主人公とコーチという2人の関係性から物語は始まり、従来の「3人から始まる」パターンとは明確に一線を画している。しかし、2人の強固な信頼関係を軸としながら、そこから徐々にスケートの世界が同心円状に広がっていく展開は、単に登場人物を増やしていくのではなく、人物たちの関係性の深まりと広がりを丁寧に描いていくという本質的な部分において共通しているように感じた。この展開は『響け!ユーフォニアム』で久美子と麗奈の関係を中心に据えた構成とも通底しており、花田十輝が得意とする人物関係の描き方が遺憾なく発揮されている。
花田十輝色が色濃く現れた“母親の描写”
本作で花田十輝の色が特に現れているのが、第4話でのいのりの母親の描写だ。原作と比べてより繊細に描かれた母親の姿は、ストレートな言い方をすれば、視聴者からの“毒親”のレッテルを避けただけではない。むしろ大好きな母親に「期待されない」ことこそが本当の辛さであるという、いのりの想いをより鮮やかに浮かび上がらせている。
母親がいのりに謝罪する場面にアニメで新たに加えられた「決めつけちゃってごめんね」というセリフには、作品が描こうとする親子の関係性の本質が凝縮されている。原作ほどの強い態度や言葉ではないからこそ、やや過保護さが引き立つアニメ版のいのりの母。「負けるかもしれないから」「辛い思いをさせたくないから」という思いは、確かに愛情からくるものでありながら、同時に子どものポテンシャルを信じ切れていない証でもあるのだ。
アニメ版では、いのりの両親が共働きであることを示唆する繊細なカットも織り交ぜながら「弱いのは私だったんだ」という母の台詞を加え、いのりを信じることができなかった自身の弱さへの気づきに昇華させている。