『チ。』が紡いできた“感動”の系譜とは? “リアリスト”ドゥラカが向き合う地動説の継承

『チ。』リアリスト・ドゥラカが向き合う感動

 〈この世界は好都合に未完成 だから知りたいんだ〉

 アニメOPでサカナクションの山口一郎の歌声を聴くたびに、『チ。-地球の運動について-』(以下、『チ。』)の主人公たちをうらやましく思う。この物語の舞台は、キリスト教によく似たC教の教えが絶対とされる、ポーランドによく似たP王国という、中世ヨーロッパのどこかの国だ。C教の教えに異議を唱える者は“異端”とみなされ、厳罰に処される。にも関わらず、C教の唱える天動説を否定し、地動説の証明に文字通り命をかける主人公たちの系譜は、続いていく。

 彼らをうらやましく思うのは、その一生を費やしてもいいと思える何かに出会えたことだ。C教の教えに背かず、欲をかかず、ただ慎ましく真面目に生きてさえいれば、天国に行けると思われている世界。そのことが、(庶民にとっての)もっとも幸福な人生だと思われている世界。

 だがこの物語の主人公たちは、死後の天国よりも、現世での「感動」を選んだ。その感動というものが、たまたま地動説だったのだ。また主人公たちは、天国も地獄も信じていないわけではない。「C教の教えに背いたら地獄行き」ということ自体は否定せず、それでもなお現世での感動を選ぶ。

 第1部の主人公・12歳の少年ラファウは、将来を約束された秀才でありながら、地動説に出会ってしまう。C教に捕らえられた彼は、異端審問官・ノヴァクに、「感動は寿命の長さより大切なものだと思う」「僕の命にかえてでも、この感動を生き残らす」と語る。そして、毒を飲み自害する。

 初見の際は、「たかだか12歳の少年が、信念のためにそこまで腹を括れるものだろうか」と思った。だが、第2部でバデーニが言ったように、「12歳でもなきゃ、世界を動かそうとなんかしない」。10代前半という人生でもっとも多感な時期に出会った感動は、しばしばその人間の生き方や価値観を決めてしまう。ラファウにとっての感動が、たまたま死に直結する種類のものだっただけだ。

 原作単行本第1集の表紙には、首を吊られてぶら下がりながらも、アストロラーベ(天体観測器具)で空を見上げるラファウの姿が描かれている。その絵のラファウは、死の直前なのかもしれないし、もう死んでいるのかもしれない。だがその目は、鋭く、深く、宇宙の果てまで見据えるぐらい遥か遠くを見ている。この強烈な1枚の絵が、『チ。』という作品のすべてを物語っている。たとえ殺されても、感動は死なない。感動さえ生きていれば、誰かが必ず引き継いでくれる。

 第2部の主人公・オクジーは、代闘士である。貴族たちから依頼されて、決闘の代理を務める仕事だ。“人殺し”と揶揄される、下級市民である。闘士であるため戦闘力は高いが、卑屈でネガティブで早く死んで天国に行くことだけを望んで生きている。先代の主人公・ラファウがあまりにも“主人公然”としていたため、「新しい主人公は、なんかパッとしないな……」と思ったことは否めない。だが、このなんかパッとしない主人公も、感動に出会ってしまうのだ。

 オクジーがC教徒たちに追い詰められたとき、相棒・バデーニに言う。「俺は、ちょっと前までは早くここ(地球)を出て天国へ行きたかったけど、今はこの感動(地球)を守るために地獄へ行ける」

 この瞬間、なんかパッとしない主人公は、最高にカッコいい主人公になった。そして、あれだけ偉そうだったバデーニが、オクジーのために神に祈る。自分たちの行動や信念が地獄行きに繋がることを自覚しながらも、オクジーだけは天国に行けるよう、祈る。この瞬間、なんか嫌なヤツだったバデーニも、最高にいいヤツになる。主従関係のようだった2人が、真の友人になった瞬間でもあった。事実オクジーは、まさに首を吊られるその瞬間に、バデーニに語る。「今、俺の目の前に広がるコレが、地獄の入り口って景色には見えない。この空は、絶対に、綺麗だ」。

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