『飯沼一家に謝罪します』のディテールを紐解く ハートフルで悲しい怪作が持つ魅力とは

『飯沼一家に謝罪します』ディテールを紐解く

憑依と“帰りたがる霊魂たち”

 そして飯沼一家(と替え玉になった良樹)の様子は一変し、正気を失ったかのようにハワイ旅行の代わりに心霊スポット巡りをするようになる。おそらく彼らの肉体には何か霊魂のようなものが憑依しているのだろうが、その原因が儀式によるものか、それとも明正のオカルト儀式によるものかは定かでない。しかし、いずれにせよ彼らの中にいる者は“帰りたがっていた”ように思える。

 彼らが向かった心霊スポットは、「霊界と現世を繋ぐ通り道の吊り橋」や「二度と帰れなくなるトンネル」など、どれも“あちら側”に行くためのものだ。しかし、彼らはそこで行方不明にもならず帰宅。謎の「輪っか」を作ったり、何もないところで直立不動でいた彼らはその後、火事で亡くなる。明正の証言通り、父親の一家心中が非の原因であれば“あちら側”に行くための最終儀式だったと言えそうだ。もう一方で、様子が変わってしまった彼らを気味が悪いと思った明正自身が放火した可能性も残っている。

 一方、徳島に帰った良樹も飯沼一家が作った「輪っか」と同じものを作っていた。この輪、本作を手がけた大森時生による『行方不明展』に似たものが展示されており、“輪っかの向こうが異世界に繋がっている”と言われている。やはり、“あちら側”に行こうと必死になっていたのだ。中に入っていた魂が異界に帰ると、体が抜け殻のようになってしまうのだとしたら。良樹が話さなくなり、動かなくなった理由に繋がるかもしれない。そして第4話で、植物状態のように寝たきりになっていた良樹の身体に何者かの身体が重なっているように見えたが、あれはおそらく「四十九日の裁きを受ける」と言って、岸本家の2階に上がっていった矢代のなりの果てなのだ。

「四十九日の裁き」に見る「罪」

 第1話の謝罪番組のラストで矢代が言った「四十九日の裁き」にも触れておきたい。仏教には輪廻転生(生まれ変わり)の考えがあり、どこでどんな形で生まれ変わるのかが亡くなってから49日後に決まるのだ。そしてこの間、人は十王によって7回の裁判にかけられる。

 まずは秦広王から生前に「殺生」をしたか、次に初江王から生前に「盗み」をしたか、宋帝王から生前に「不貞」をしたか、そして4回目の裁判で五官王から生前に「嘘」をついたか調べられるのだ。この五官王の“五官”とは、目・耳・鼻・舌・身を指しており、これらを使って人を傷つける言動をしたかどうか、その罪の重さを問われる。『飯沼一家に謝罪します』のTVerでの配信サムネイルも、「目」「耳」「手」「首」など体のパーツに焦点が当てられているのが興味深い。

 その後、5回目の裁判では閻魔王が4回の裁判の内容が記された閻魔帳の中身を見ながら六道のどこに輪廻転生するか決定。6回目の裁判では変成王が生まれ変わる条件を決め、最後に7回目の裁判(死後49日目)で泰山王によって生まれ変わる際の性別や寿命が最終決定される。ここで決まらない場合、百ヶ日や一回忌などで追加審判が下されるのだ。

 これらの裁判は非常に厳しいもので、最も重要なのが実際に行った罪だけでなく「言っただけ」「心で思っただけ」のことも罪として認識されることである。ここで『飯沼一家に謝罪します』の根幹にある「罪」と「謝罪」というテーマに通じていく。

 全ての発端は、飯沼一家が引きこもりで気性の荒い長男・明正を疎ましく思ったことであった。番組に参加したことも、運気アップの儀式を依頼したことも明正に直接的な関係はなかったが、儀式の中で明正を“自分の中にある悪い感情や不運”とし、紙に名を書いたことに変わりはない。これによって以前から飯沼一家が「明正がいなくなればいいのに」と考えを抱いていたことがわかり、これが彼らの「罪」であり、「呪い」である。

 一方、撮影中2階からひっそり様子を伺っていた明正。家族のテレビ出演に関心があったことが伺える。もともと引きこもりだったが、替え玉を用意したこともあって部屋から出ないように言われていたかもしれない。自分が疎まれていることを理解し、オカルトに倒錯していた彼なら、代役まで立てて“一家の幸運”を願ったり、“家族で”番組に出演しようとした家族を「呪う」気持ちだって芽生えたはず。儀式が行われる前に、すでに彼らを呪っていたのは明正だったのかもしれない。真っ黒だった写真に写る明正の部屋に、あの“異世界への入り口”と言われる「輪っか」があった理由が、「家族の除け者として生きていく現状を抜け出したい」「異世界でやり直したい」、そんな彼なりの現実逃避だったのだとしたら、切ないではないか。

どうにもならない「謝罪」の行方

 しかし、もう彼も家族を呪っていた時点で同じなのである。疎まれていたから仕方ないと思っても、気性が荒いなど自ら疎まれるような言動・性格をしていたのだ。その言動に走らせる原因が、さらに前にあったのかもしれない。それでも、自分が先に彼らを呪った。代役まで立てられ、「最高の家族です!」とほぼヤラセのような番組の中で誇らしげにコメントする父を見て、明正は何を思っただろうか。

 現代で自分の過去を切り捨て、卑屈にならずに幸せそうな家庭を築いていたことからも、彼はやはりずっと「家族」が欲しかったのかもしれない。そして撮影したビデオテープを自分の「呪い」を隠蔽するように、そして誰かに「呪われた」辛さを忘れるかのように厳重にタオルとビニール紐で包んでおいた。しかし、しらを切ろうとしていたことも事実である。スタッフの方が上手で、六芒星が描かれた紙が貼ってある部屋にいた明正の写真を彼の目の前に出す。「オカルトにハマっていたんですか?」とスタッフに聞かれると、少し涙ぐみながら目線が泳ぐ。

 長い無言の中、部屋で燃える暖炉の火と明正を交互に映すという、彼が放火した可能性を高めるカットの後に流れるスタッフロール。そこで彼がか細い声で「スイマセン」と言って本作は幕を閉じる。

 この「スイマセン」の意味は何通りにも考えられる余地があって、素晴らしい。しらを切ったこと、振り回してしまったスタッフに対する「謝罪」とも考えられるが、一方で筆者はこれが本作のタイトルにある“飯沼一家への謝罪”だったのではないかと感じてやまない。なぜなら、発端の番組内で矢代は「飯沼一家に謝罪します」と言っておきながら一言も「スイマセン」と言っていないのだから。ゼミの生徒もあれだけ滅茶苦茶な儀式を目撃していながら矢代教授を盲目に崇めていたのもあって、矢代自身ほんとうは自分が悪い(失敗した)とも思っていないのかもしれない。現に生徒たちは儀式と火事に関係がないと認識している。しかし、矢代は“スポンサー会社を設立し、番組を作ってまで公共の放送で謝罪をさせようとした”悠美子に求められたから、ああいった形で頭を下げていたのかもしれない。

 実際、彼の儀式が関係なくそれ以前に明正が彼らを呪いそれに成功していたら、まさしく矢代のせいではない。一方、悠美子が毎年りんごを送る明正の行動の裏に、岸本家を巻き込んでしまったことへの後ろめたさ以上の何かを感じてたら。そして万が一、良樹の部屋から出てきた写真の正体を察していたのだとしたら。「絶対オンエアしてくださいね」と怖いくらいに念を押した悠美子が印象的だったが、それこそ彼女が本来求めていた「謝罪」を放送させるためだったのかもしれない。

 この本作のテーマの一つである「謝罪」について、制作スタッフの大森は「赦しはあるのか」とコメントしている。果たして、明正の「謝罪」は赦されるのか。もう取り返しのないことをしてしまったこと、それが暴かれた時にその言葉を言ったところで何かが変わるわけでもない。一体どんな気持ちで言えばいいのかわからない。本当は自分も家族とただ幸せになりたかった。そんな彼の切ない祈りが呪いに転じてしまったのだとしたら、やはり少し悲しい。この“怖い”以上にホラー作品の根底に敷かれた感情とも言える“悲しさ”が、『飯沼一家に謝罪します』の描く恐怖に奥行きを与える。そこに、新時代的な作り方であると同時に、ビデオなどの平成的な空気感やホラーにおける古き良きを大切にする、本作の真の魅力を感じた。

 考えれば考えるほど、新しい考えが浮かんできてしまう。ぜひ劇場で飯沼一家に向けられた「謝罪」とは何か、「罪」とは何か、明正の「スイマセン」の意味をもう一度見つめてみてはいかがだろうか。

■公開情報
TXQ FICTION第2弾『飯沼一家に謝罪します』
WHITE CINE QUINTOにて上映中
チケット:1500円均一/全席指定 ※各上映日の2日前より劇場サイトにて販売
配給:テレビ東京
©︎テレビ東京
公式X(旧Twitter):@TXQFICTION
公式Instagram:@txqfiction

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