是枝裕和監督が『阿修羅のごとく』を再映像化した意義 改めて感じる向田邦子脚本の凄さ

さらに第ニ話ではミステリアスなギミックが炸裂する。新聞に、自分たちの家の醜聞を書いたとしか思えない投書が載る。四姉妹は、自分たちのなかでいったい誰がこんなことをしたのかと揉めはじめる。その謎は終盤に登場する、あるアイテムによって解き明かされることになるのだが、これだけでは、“普通に上手い脚本”というだけだ。しかし向田は劇中に“爪切り”のシーンを配することで、さらにぞくっとさせるような怖さを視聴者に味わわさせる。このように、日常の一つひとつの所作を一気にサスペンスにしてしまう手腕が圧倒的なのだ。
この、一見すると和気あいあいとした家族には、恐ろしい怒りや恨みが裏に渦巻いている。見てはいけないおぞましい何かに、ただ薄い布を一枚かけているから、それが表面上見えないだけなのだ。われわれ視聴者もまた、向田邦子の描いた、この世界を体験することで、自分の家族や恋人との関係を思い出し、ややもすると背筋が寒くなることだろう。身近な人が阿修羅の顔をして、自分の後ろ姿を見つめているかもしれないのである。
そんな向田邦子による物語を、2025年に味わうことには、意味がある。それは、昭和の時代と現在の男女観の差異にある。
巻子「どこに、誰といるか、うすうす知ってるのよ。でもね、あたし、黙ってるの」
ふじ「そうだよ。女はね、言ったら、負け」
『阿修羅のごとく 向田邦子シナリオ集』より
夫が浮気しているという、強い疑いがあるなかで、「言ったら負け」だという心理は、現代からすると不可解に感じられる箇所かもしれない。昭和の時代は、男性の浮気やセクハラなどが、いまと比較すると社会的に軽く扱われていたことは確かだ。浮気の証拠を夫に突きつけることで、どのような結果になるか。自身のプライドはどうなるのか。世間の体裁はどうなるのか。女性にとって不利な条件が揃った社会において、気づかない方が“勝ち”であるという価値判断には、納得しかねるところがありながらもリアリティを感じもするのである。
しかしその後の展開が示しているように、やはりそれだけでは済むはずがない。“それで許してはならない”、“そんなことが許せるわけがない”という、女性の感情を代弁する向田の意志が、この時代だからこそ、より強い意味を放ちながら、姿を現すことになるのである。そして第三話の終盤では、浮気したパートナーに、これ以上ないほどの悔恨をおぼえさせる“復讐”を遂げることになるのだ。ここにきて、「言ったら負け」という言葉が、ふたたび新たな意味を持って、芯に響いてくるのである。
脚本は、言葉を操る仕事だ。何を言わせるか、あるいは言わせないか。そして言葉にどんな意味を持たせるかを、深く考え抜かなくてはならない。いまよりも、比較的ものがいえない時代を生きてきた脚本家だったからこそ、向田邦子には、核心を言わないからこそ凄みがある、明かさないからこそ重みを持つ女性の像を、これほどまでに見事に形づくることができたのではないか。
もちろん、向田が活躍した時代の問題は、現代になって解決したわけではない。ここで表現された女性たちの怒りは、現在もまた継続して存在しているはずである。新たなドラマや映画のつくり手たちは、もの言わぬ日常の所作や、何気ない言葉の端々に、何かが隠されていること、隠し得ることを意識すること、そしてこのようなメッセージを投影することもできることを知ることで、もっと重層的な物語づくりや細心な演出、そして魂を込めることが可能になるはずである。
とはいっても、たとえそういった高度な試みをしたところで、視聴者の側が気づかないのでは意味がない。だからこそ、日本のドラマの粋といえる『阿修羅のごとく』をいまこそ味わい、その豊かさに驚くことで、新たなつくり手たちも、視聴者も、あらためて一流の仕事の凄さ、そしてドラマや脚本の果てしのない可能性を感じ取ってほしいのである。
■配信情報
Netflixシリーズ『阿修羅のごとく』
Netflixにて独占配信中
出演:宮沢りえ、尾野真千子、蒼井優、広瀬すず、本木雅弘、松田龍平、藤原季節、内野聖陽、國村隼、松坂慶子
原作・脚本:向田邦子
監督・脚色・編集:是枝裕和
企画・プロデュース:八木康夫
音楽:fox capture plan
制作プロダクション:分福
製作:Netflix
























