初期宮﨑駿が描く“人間の善性” 『ルパン三世 カリオストロの城』はなぜ語り継がれるのか
宮﨑駿の初監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)の公開45周年記念リバイバル上映およびIMAX特別上映が、11月29日より始まる。これは吉報だ。
今作が主に『金曜ロードショー』で放送されるたびに繰り返し観てしまうという方は多いのではないだろうか。もう何度も何度も観て、名台詞の数々もあらかた覚えてしまっているというのに。筆者宅でも、放送日は妻が大皿に肉団子スパゲティを作ってくれるので、ルパンと次元よろしく、それを奪い合いながら観る。熟年夫婦が。そしてOPの名曲「炎のたからもの」を聴きながら、早くも涙ぐむ。
とはいえ、今作の公開年は1979年、もう45年も前だ。テレビでは何度も観ているが、まだ劇場では観たことがないという方もいらっしゃると思う。今後、テレビ放送はまたあるだろう。リバイバル上映も、またあるだろう。ただ、IMAX上映は今回が最後かもしれない。この名作を視野全面を覆う大スクリーンで、あの名場面を高密度な映像で、そしてあの名台詞や大野雄二の劇伴を高精度な音響で、堪能できるとは贅の極みだ。映画代はやや割高になるが、その価値は十二分にある。
本来、原作者のモンキー・パンチが創作したルパン三世は、「世紀の大泥棒」であると同時に、「世界一の殺し屋」とも呼ばれる存在である。目的のためには殺しも辞さない、ピカレスクヒーローだ。だが今作でのルパンは、強く優しくカッコいい、正しいヒーローである。それは『未来少年コナン』(1978年/NHK)のコナンや、『天空の城ラピュタ』(1986年)のパズーら、初期宮﨑駿作品の主人公たちと同系列にあたる。
彼らはみな、可憐なヒロインを悪の権力者から救うため、奮闘努力する。宮﨑の盟友・高畑勲は、そんな主人公たちを「エスコートヒーロー」と呼んだ。あまりにサラッと描かれるので当たり前のように感じているが、彼らは一様に身体能力が異常に高い。ヒロインをお姫様抱っこしたまま、90度の壁を駆け上がったりもする。もはや物理法則すら無視しているが、彼らの生命力や爆発するような若さを見ていると、細かいことはどうでもよくなってくる。
ただ問題はルパンである。10代のコナンやパズーとは違い、この作品のルパンは中年である。10代半ばぐらいのクラリスから「おじさま」と呼ばれているので、少なくとも若者ではない。アラフォーぐらいだろうか。無理が利かなくなる年代である。そんなおじさまが、屋根から屋根を「ピヨ~ン」と飛び越え、素手で塔を登る。背中を撃たれて重症を負っても、バカ食いで治してしまう。もはやおじさまではない。いや、若者であってもバカ食いで銃創は治らない。作品は違うが、どちらかと言うと伊之助(『鬼滅の刃』)寄りである。
そんな「本当におじさんか?」と思われるルパンだが、「これは確かに人生経験を積んでるな!」と思う点もある。要所要所でいい台詞を吐けることだ。これは、まだ若造のコナンやパズーにはない点である。
まずシェイクスピアの舞台のような、芝居がかった台詞の数々。
「私の獲物は、悪い魔法使いが高い塔のてっぺんにしまい込んだ宝物。どうか、この泥棒めに盗まれてやって下さい」
「その子が信じてくれるなら、泥棒は空を飛ぶことだって、湖の水を飲み干すことだってできるのに」
ラストの名場面、無事救い出したクラリスが、一緒に連れていってほしいと懇願するシーン。ルパンは長い長い逡巡の末、クラリスを優しく諭す。
「バカなこと言うんじゃないよ。また闇の中に戻りたいのか? やっとお日様の下に出られたんじゃないか。お前さんの人生はこれから始まるんだぜ。俺のように薄汚れちゃいけないよ」
ちなみに、基本コミカルな顔をしているルパンだが、いい台詞を吐くときだけ男前になる。パズーの顔になる。
しかし、これだけルパンがいい台詞を小出しにしてきたのに、最後の最後に最高のキメ台詞で全部持っていってしまう輩がいる。ルパンの永遠の宿敵・銭形警部である。
「いや、ヤツはとんでもない物を盗んでいきました。あなたの心です」