黒崎煌代の90sシネマクロニクル
黒崎煌代の90sシネマクロニクル 第2回『ギルバート・グレイプ』“束縛”の意味を考える
“Z世代”である俳優・黒崎煌代が、“X世代”(アメリカ合衆国などにおいて概ね1965年から1970年代に生まれた世代のこと)が多く描かれた1990年代のアメリカ映画をピックアップして紹介。
第2回は1993年に公開された映画『ギルバート・グレイプ』。ピーター・ヘッジズの同名小説をラッセ・ハルストレム監督が映画化。若かりし頃のジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオの出演作として今なお語り継がれる一作となっている。(編集部)
『ギルバート・グレイプ』
1993年公開の『ギルバート・グレイプ』は、ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオ、ジュリエット・ルイスが共演した映画史に刻まれているヒューマンドラマです。
『ギルバート・グレイプ』を最初に観たのは、映画業界に就くことを志し始めた高校生最後の頃でした。ディカプリオ作品を総ざらいしようと思って観た中の一作だったんです。
ディカプリオが『タイタニック』(1997年)で有名なことは知っていましたが、天邪鬼な私は、『タイタニック』はずっと観ずにいました。そして初めて観たディカプリオ作品は、『ボーイズ・ライフ』(1993年)でした。度肝を抜かれました。そこからディカプリオにハマっていったんです。なので、私の中の彼に対するイメージは、世間一般でよく言われている「イケメン」ではなく、「面白い俳優」というイメージが強かったです。『ギルバート・グレイプ』でも「イケメンディカプリオ」ではない、「おもしろディカプリオ」が観れます。
私は今日までに本作を計3回観ました。1回目は高校生、2回目は映画『さよなら ほやマン』(2023年)の撮影に入る前、そして今回。毎回違う面白さ、気付きがあるのですが、それは揺るぎないテーマがあるからだと考えます。
『ギルバート・グレイプ』のテーマは「束縛」です。束縛には様々な種類があります。恋人、家族、友達、社会、環境など。本作では、これらの束縛が全て盛り込まれています。そして、それらの束縛の中に、いい加減なものはひとつもなく、愛や良心からくる束縛です。主人公は自分の本心と現状との違いに葛藤しながら向き合っていく話だと私は本作を捉えています。
『ギルバート・グレイプ』は、アメリカ・アイオワ州のエンドーラという田舎が舞台で、主人公のギルバート(ジョニー・デップ)は、エンドーラの外の世界に興味を示しているのですが、障害がある弟、太りすぎていて他人の助けがなくては動けない母などが原因で、出て行きたくても出ていけなく、これが宿命なのだと終始諦観した表情をしています。このジョニー・デップの表情は、この映画を初めて観た高校生の自分の心に非常に印象的に残っています。口角や眉の上げ方、目と口の開き方というような、ちょっとしたところでの表現が非常に魅力的です。『パイレーツ・オブ・カリビアン』のジャック・スパロウを予感させられます。
私の実家の三田市もどちらかと言えば田舎なのですが、私はギルバートのような、外の世界への憧れは特にありませんでした。どちらかと言うと「三田市(黒崎の地元)最高!」「実家万歳!」的な感じでしたし(笑)。
たまに東京に旅行に行った際には、「別の世界」として割り切ってみていたので、外の世界は「観て楽しむもの」だと捉えていたように思います。
なので、高校生の時の私には、「ギルバート大変だなぁ」くらいにしか思っていませんでした。しかし、『さよならほやマン』で共演した、MOROHAのアフロさんに出会い、アフロさんは、田舎出身で山に囲まれ、その山が自分を閉じ込めている壁のように感じていたという話を聞いた時にギルバートの映画の中での葛藤が現実のものなのだと知りました。環境の束縛ですね。
この映画を観ると束縛について考えさせられます。基本どの束縛も不安からくるものではあると思うのですが、なぜ自分の不安を相手にぶつけ、相手を変化させることでその不安を解消しようとするのか。一番それが簡単だからですかね。どうなんでしょう。達観している感じで喋っていますけど、私もあらゆる束縛の経験はあります(笑)。する方もされる方も。ギルバートの一番大きな束縛は、弟アーニー(レオナルド・ディカプリオ)による束縛です。弟のアーニーは他人の助けや、つきっきりでの指導が必要なため、ギルバートはやりたいことができない状況になっています。この束縛をさらに難しくしているのは、ギルバートのアーニーへの愛です。愛があるから束縛にも耐えられてしまうこと。彼の葛藤を観ていて心がギュンとなります。
恋人の束縛が一番わかりやすいように思います。相手のことが好きだから、ある程度の束縛を受け入れる。しかし、束縛が度を超えると爆発する。本作でもギルバートはとうとう爆発して、アーニーを殴るシーンがあり、束縛の全容が描かれています。アーニーの束縛は他のものとは違って、アーニーの束縛は、束縛しているつもりはない「無意識の束縛」だという点も心がギュンとなる要因でしょう。自分も無意識に束縛してしまっているのだろうなと思うと、なかなか寝付けません。