【新連載】黒崎煌代の90sシネマクロニクル 第1回『リアリティ・バイツ』Z世代は共感必至?

『リアリティ・バイツ』にZ世代は共感必至?

 2023年、日本のエンタメ界の未来を担う俳優が発見された。2002年生まれ、現在22歳の黒崎煌代だ。NHK連続テレビ小説『ブギウギ』、映画『さよなら ほやマン』で圧倒的な演技力を見せつけ、視聴者・観客の心を鷲掴みに。いずれの作品でも丸坊主に扮したせいもあるかもしれないが、彼からはどこか“昭和”の匂いが漂う。そして、インタビューの際にも知性的な言葉が飛び出す。まだ20代にして、早くも“職人”の気配をまとう黒崎の原点にあるのは「映画」。俳優として、人間としての黒崎を作ったのは、父の影響で幼い頃から観続けてきたたくさんの映画だという。

 本連載では、“Z世代”である黒崎が、“X世代”(アメリカ合衆国などにおいて概ね1965年から1970年代に生まれた世代のこと)が多く描かれた1990年代のアメリカ映画をピックアップして紹介。

 第1回は1994年に公開された映画『リアリティ・バイツ』。『ナイト・ミュージアム』シリーズなどで知られる人気俳優ベン・スティラーの初監督作品であり、主演をウィノナ・ライダーが務め、共演にはイーサン・ホークらが名を連ねている。黒崎はなぜこの作品を第1回に選んだのか。30年前の作品の中で生きる若者たちへの溢れる思いが飛び出したーー。(編集部)

『リアリティ・バイツ』

『リアリティ・バイツ』写真:Photofest/アフロ
『リアリティ・バイツ』写真:Photofest/アフロ

 私にとって映画は、初めて触れたエンターテイメントでした。しっかりと認識したのが『スター・ウォーズ』のオープニングで、その衝撃を受けたのが5~6歳だったと思います。父が『ダイ・ハード』や『ミッション:インポッシブル』など、ハリウッド映画のDVDを定期的に借りてくる人で、物心が付いた頃には映画を観ることが当たり前になっていました。

 映画は生活の一部としてずっとあったんですが、急に映画が観れなくなってしまった時期がありました。それが去年で、今はもうそのスランプみたいなものからは抜け出せたのですが、役者を始めて業界の内をいろいろと知ってしまったからかもしれません。

 映画を観ることで、できるだけ自分の生きている時代や世代のものから“距離”を置きたかったんです。今回選んだ『リアリティ・バイツ』でも、登場人物たちが暮らすシェアハウスのテレビで、昔のドラマの再放送を観ているんですが、なんとなく彼らも私と同じような気持ちだったのではないかと思っています。

黒崎煌代(写真=池村隆司)

 『リアリティ・バイツ』は、いわゆる“ジェネレーションX”の人たちの話です。私が生まれた2000年前後の世代は、“Z世代”に当てはめられますが、『リアリティ・バイツ』の登場人物たちが抱える悩みや彼らを取り巻く社会状況は非常に似ているのではないかと感じます。例えば、最近はTVerで昔のドラマが特集として多く配信されていますが、リアルタイムで観ていた方々はもちろん、若者世代も楽しんでいる。機材なども違うので、映像のクオリティ自体は今放送されている作品の方が高いとは思いますが、あえてそれらを観るのは“距離”を取れることが大きいのではないかと思うんです。

 映画やドラマをはじめとしたポップカルチャーは、作品を通して現実を映し出します。でも、2020年代の今は、“豊かで希望に満ちた楽しい”時代とは一口にはいえないほど、厳しい現実があります。だから優れた作品でも、その現実を突きつけられると思わず目を背けたくなるときがあるんです。

 『リアリティ・バイツ』の登場人物たちは、ベトナム戦争終結後に生まれた世代。彼らは大人になったらソ連が崩壊して、就職難になり、政治にも信頼がおけずに個人主義に……なんとなくですが、Z世代の私たちと取り巻く空気感は似ているんですよね。だから、彼らの行動に同時代を生きているわけではないのに、とても共感するし、励まされるものがありました。

 『リアリティ・バイツ』を初めて観たのは大学1~2年生の頃。きっかけは、ベン・スティラーでした。彼を初めて知ったのは『ズーランダー』。役者としても出演して、監督もやるということで、「じゃあ初監督作は?」と思って巡り合ったのが本作でした。

『リアリティ・バイツ』写真:ALBUM/アフロ
『リアリティ・バイツ』写真:ALBUM/アフロ

 主要な登場人物は4名。優秀な成績で大学を卒業したものの、世で喝采を浴びるような作品を作る映像ディレクターになりきれず、悶々とした日々を過ごすリレイナ(ウィノナ・ライダー)。リレイナの男友達で頭はいいのに大学の哲学科を中退、現実を斜めに見ているバンドマンのトロイ(イーサン・ホーク)。リレイナの女友達でGAPで働きながら現実を一番理解しているヴィッキー(ジャニーン・ガラファロー)。そして、監督も務めるベン・スティラーが、リレイナといい感じの関係になるMTVの編集局長・マイケルを演じています。彼らが理想と現実の間で揺れ動きながら、自分の人生を見つめていくというのが本作の大まかなあらすじです。

 リレイナやトロイたちの親はベトナム戦争が終結して、ヒッピー文化も終わって、すべてが“終わってしまった”世代です。本作の冒頭は大学の卒業式のシーンから始まるのですが、その演説シーンでリレイナはこれからどう生きていくべきかについて、「The answer I don't know(答えは分からない)」と言います。彼女たちの中に希望が見出しづらい現実にどこか諦めもあるんですけど、諦めて何もしてこなかった親世代を見てきているので、諦めながらも何かをしたい/してやるという意思はある。この台詞には冒頭から心を掴まれました。私が観てきた映画のOPの中でも一番と言っていいぐらい大好きなシーンです。

『リアリティ・バイツ』写真:Everett Collection/アフロ
『リアリティ・バイツ』写真:Everett Collection/アフロ

 『リアリティ・バイツ』は1994年に公開された今から30年前の映画ですが、ところどころに「今と一緒じゃん!」と思わず思うものがあります。象徴的なのが、エンタメの消費のされ方。リレイナが作ったドキュメンタリーフィルムがマイケルの会社で評価されて、番組として放送されることになる。でも、原型をとどめていないほどにズタズタに編集されて、細かいカットで繋がって、変なテロップも入って……とまるで今のTikTokの映像みたいになっているんです。リレイナはそれに怒り心頭なのですが、マイケルの会社は方針として、「若者が求めるものはこれなんだ!」と主張するんです。今も倍速視聴とか、ショート動画とか、「若者は短い映像しか興味がない」という意見などもありますが、1990年代の若者たちも同じことを言われているんだなって。この時代の若者が50~60代になって、今の若者たちに自分たちが言われていた言葉をぶつけていると思うとなんだか不思議ですね。

『リアリティ・バイツ』写真:Everett Collection/アフロ
『リアリティ・バイツ』写真:Everett Collection/アフロ

 本作に出てくる登場人物たちの中で自分を当てはめるとしたら、私はGAPで働いているヴィッキー。テレビ局で働いていたリレイナと比較していたら地味だし、いわゆるステータス的には下になるんですが、彼女は生活のために割り切ってしっかり働いている。その姿勢には共感しました。役者という職業は自由人であるトロイに近いのかもしれないのですが、しっかり働けよと思ってしまいます(笑)。トロイのように諦めて何もしないのがX世代らしさだとすると、ヴィッキーはやることはやるというZ世代に近い感覚のような気がします。

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