『地面師たち』はなぜ共感できる? 好評の理由と現代に出現したことの意味を考える
Netflix製作の日本のドラマシリーズ『地面師たち』が、巷で話題だ。本国日本では、NetflixのTV番組部門・週間ランキングで首位を独走中(8月11日現在)。グローバルでもトップテン入りを果たした。
それもそのはず、不動産詐欺集団、いわゆる「地面師」の暗躍を描く同シリーズは、日本の地上波では放送が難しいほど、カネと色、権力欲や物欲にまみれた、下世話なほどにエクストリームな要素に溢れ、まさに現代の日本の醜く爛れた部分を切り取って見せてくれるのだ。つまり、ある意味で広く望まれていた作品といえるのではないか。
ここでは、そんな本シリーズ『地面師たち』の内容に迫りながら、このドラマが現代に出現したことの意味や、好評を博した理由について、できるだけ深く考えていきたい。
実際の地面師詐欺事件がモデルとなった、新庄耕の小説を基にした本シリーズでは、土地の所有者になりすました詐欺グループが、億単位の高額な金を騙し取るために奔走する姿が映し出される。詐欺師たちをまとめ上げるリーダー、ハリソン山中(豊川悦司)、かつて地面師に家庭を破壊されながら、いまは山中のもとでターゲットとの交渉をおこなう辻本拓海(綾野剛)、元司法書士で法律関係の戦術を担当する後藤(ピエール瀧)、偽の地主を手配する調達役の稲葉(小池栄子)、リサーチやマネーロンダリングをおこなう竹下(北村一輝)など、それぞれのスペシャリストが、ビッグな犯罪プロジェクトに挑む。
彼らの仕事のなかで最も重要で緊迫するのは、ターゲットとなる土地の購入者と偽の地主とを引き合わせ、契約を完了させる場面だ。大きな取り引きとなるので、専門家の立ち会いのもとで、地主が本人かどうか入念なチェックがおこなわれることになる。目視での確認、身分証や書類の確認、本人しか知り得ない質問が投げかけられる。その厳しいチェックを突破するため、映画『スティング』(1973年)や、『ミッション:インポッシブル』シリーズの基となったTVドラマ『スパイ大作戦』を彷彿とさせる、大がかりな「コンゲーム」(信用詐欺)が展開するのだ。
億単位の額ということもあり、ターゲットも詐欺の可能性を当然懸念し、見逃しのないよう必死に目を光らせている。地面師の側も入念に準備をしているが、想定外の追及に対してアドリブで対抗する瞬間が必ず訪れる。そこで機転を効かせ騙しきることができるかという攻防が、スリリングに描かれる。
しかし本シリーズの見どころは、それだけではない。オーケストラの指揮者の仕事の大部分は、指揮棒を振ることそのものではなく、本番で指揮棒を振るまでの、音楽全体の構想やリハーサルなど、準備段階にこそあるのだという。本シリーズを観ると、信用詐欺もまた同じようなものだという気づきがある。契約を完了させるまでのセッティングに、ここまでやるのかと思わせるほど、労力がかけられるのである。ターゲットや地主、関係者のパーソナリティを調べ上げ、さまざまな裏工作を仕掛けていくことによって、少しずつ目的へと近づいていく……。犯罪とはいえ、その石橋を叩いて渡るような用意周到な姿勢自体は、合法的なビジネスを成功させる流れにおいても、共通する点が多々あるのではないだろうか。
周到さ自体が作品の魅力となるというのは、池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』を想起させるところがある。この時代小説では、よく盗賊団の「引き込み強盗」が題材となる。引き込み強盗とは、ターゲットとなる商家に盗賊の仲間があらかじめ使用人として住み込み、財産の情報を調ベあげるとともに、決められた日時に内から扉を開けて強盗をサポートするというもの。興味深いのは、そういった“引き込み役”が、怪しまれないために何年も前から商家で働き、強盗が成功してからもしばらくの間は働くという、気の遠くなるような計画を遂行するところだ。しかし、ここまでやってこそ、「完全犯罪」が成立するともいえる。
犯罪行為にもかかわらず、ここまで真面目に手間をかけるというのは、一見すると常軌を逸しているようにも思える。だが、巨額の富を手に入れた上で、罪が露見するリスクを回避するということを考えると、それは犯罪者にとってみれば、相応の対価だといえるのかもしれない。本シリーズでは、100億を超える規模の詐欺をおこなうのだから、細心の注意を払い丁寧な仕事を積み重ねていくというのは、むしろ当然なのではないか。逆にいえば、そこまでやらなければ企業や法律の専門家を欺くことは、そもそもが無理な話なのである。