『デッドプール&ウルヴァリン』が映す時間の哲学 “長く生きる者”の苦悩と宿命を考える
※本稿には『デッドプール&ウルヴァリン』のネタバレが含まれます。
『デッドプール&ウルヴァリン』の世界興行収入が10億ドルの大台に乗った(※)。この成績は2024年公開の映画としては2作目、『インサイド・ヘッド2』に次ぐ快挙にあたる。実際、シリーズの続編が熱望されていた『デッドプール』と、美しい最期を遂げたファンの人気キャラ・ウルヴァリンの共闘、そしてマーベル・シネマティック・ユニバースへの合流など本作は公開前から話題に尽きなかった。
筆者も楽しみにしていた観客の1人であり、いざ鑑賞すればキレッキレのアクションとジョーク(個人的には使用された音楽も含め『ゴシップガール』ネタが響いた)、“懐かしのキャラクター”らによるサプライズなど、とにかく作品のエンタメ性を楽しまえてもらったのだが、エンドクレジットに差し掛かるとボロボロ涙が溢れて止まらなかった。デッドプールとウルヴァリンというキャラクターの宿命、そして彼らが求めたハッピーエンド、エンドロールで流れた映像、それぞれに共通し相反する「時間の概念」が急に突きつけられたからだ。
なかなか死ねないデッドプールとウルヴァリン
前提として、まずデッドプール(ウェイド・ウィルソン)とウルヴァリン(ジェームズ・ハウレット/ローガン)は2人ともヒーリング・ファクターと呼ばれる治癒因子を持っている。これにより、驚異的な治癒能力で大きな怪我を負っても超回復ができるのだ。加えて、病気にもかかりづらく老化も遅い。もともとヒーリング・ファクターを持つウルヴァリンは「ウェポンX計画」と呼ばれる、アメリカ政府とカナダの秘密組織が行っていたスーパーソルジャー製造計画によってアダマンチウム合金が骨格に組み入れられた。Xとはローマ数字の10を表していて、彼が計画における10番目の被験体であることを表している。ちなみに「ウェポンⅠ」があのキャプテン・アメリカということだけあって、ウルヴァリン(『X-MEN』シリーズ)のMCU合流によってますます繋がりが浮き彫りになってきた。
そして何を隠そうデッドプールは癌治療のためにこの「ウェポンX」から派生した実験に参加している。そこでウルヴァリンのヒーリングファクターを注射され、彼と同じ超回復の能力を手に入れた。映画『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』ではチームXに改造されたウェポンⅪがデッドプール、という設定で描かれ、そのくだりは前作『デッドプール2』で茶化されていたのが記憶に新しい。
こういった背景があってなかなか死ねない2人なわけだが、映画『LOGAN/ローガン』では時が流れ、アダマンチウムの毒素が体を蝕むせいでヒーリングファクターが低下したウルヴァリンの物語が描かれた。老化が進行し、治癒も遅くなって視力も落ちた彼が最期に守り抜いたミュータントの子供ローラ。彼女が『デッドプール&ウルヴァリン』に“大人になって”再登場したことも、本作のテーマのひとつ「時間の経過」を表すうえで大切なことに思うのだ。
長寿キャラ作品に共通する主人公たちの苦悩
『デッドプール&ウルヴァリン』は冒頭から、経過する時間と“変わらない主人公”を映している。『デッドプール2』のラストから6年の時が流れ、デッドプールとしてではなくカーセールスマンとして日々を過ごすウェイド。ヴァネッサとの関係性も変わってしまった。そんな彼の誕生日に友人が集まるところから物語は始まる。そして本作でデッドプールを脅かし、彼が解決しなければいけない問題になるのも、友人たち(厳密には彼らが存在する時間軸)が消し去られてしまうことにあった。そこから虚無の世界への旅という非日常的なアドベンチャーが展開されるのだが、最終的にはやはり大切な友人たちと食卓を囲むという日常に帰結する。主人公の動機や試練、そしてハッピーエンドが全て「愛する者を救うこと」に繋がっていること自体、ハリウッド映画として珍しいわけではなく、むしろ王道中の王道だ。しかし、そんな王道作品と一味違うのは、やはり主人公と彼が愛する者が持つ「時間の概念」が異なるからではないだろうか。
ヴァネッサや私たちのようなヒーリングファクターを持ちあわえない一般人にとって、6年はあっという間のようで長い時間だ。死ぬその日まで、残された時間を有効に使おうとすることも私たちの特徴である。一方でウェイドにとってその6年間は、我々ほど重要ではない。アベンジャーズに志願し、面接に受からなくてもヒーロー活動など何かしら実りのある時間を過ごせたはずなのに、彼は無気力に生きることを決めた。そんな彼が「時間変異取締局(TVA)」に連行され、時間軸を守るために全力を尽くすという話なのだから、やはり本作にとって「時間の概念」は重要なテーマなのである。
主人公とその周囲の人物に流れる時間の感覚のズレを描く物語は多い。多くの場合、主人公は長寿なキャラクター……例えばエルフや吸血鬼、何らかの超人的な力を得た者だ。2023年の覇権アニメとして人気を博した『葬送のフリーレン』も、エルフのフリーレンと、彼女の仲間が体感する時間の違いにフォーカスを当てた作品である。特に物語の序盤では何十年単位で物語の中の時間が経過するので、圧倒された。そういった演出を通して1000年以上生きるフリーレンにとって、それらが極めて短い時間であることが強調される。そして以前魔族から守った街で衛兵に捕まって投獄されたフリーレンが「2、3年くらいで出てこられる」と何の気なしに言っていたように、長寿であればあるほど普通の人間と比べて時間を大切にしなくなるものだ。しかし、物語の中でフリーレンが何度も勇者ヒンメルたちとの“たった10年間の旅路”に想いを馳せることを通して、時間の価値とは長さや短さではなく誰とどう過ごしていたのか、“想い出”によって形作られるものであることが作品を通して描かれた。
それが“良い想い出”であるとも限らない。『デッドプール&ウルヴァリン』に登場するウルヴァリンは、『LOGAN/ローガン』の彼とは別個体でありながら自身の時間軸で犯してしまった罪に対する後悔を抱え、孤独に生きている。『LOGAN/ローガン』のローガンだって、仲間が次々とこの世からいなくなってしまう中で、彼らと過ごした頃の自分さえ忘れてしまいたいかのように、ヒーローではなくリムジンドライバーとして日々をやり過ごしていた(この辺りの行動は本作のデッドプールと少し似ている)。長寿であればあるほど、愛する者が先に死んでしまい、その後も(また新たな別れの痛みを味わいたくなくて)人間関係を築きにくく孤立しやすい。これも長く生きる者が抱える苦悩であり宿命だが、彼はローラとの出会いを通して生きる最後の希望を見出した。彼女と過ごした時間はローガンの生きた時間の中ではかなり短いが、彼が生涯を終える上で最も大切な……再び愛に触れる時間になったのではないだろうか。