“時代の鏡”としての特撮ヒーローと悪役 白倉伸一郎が語るキャラクタービジネスの変化

“時代の鏡”としての特撮ヒーローと悪役

正義のグラデーションを描いた『仮面ライダー龍騎』の登場

ーーさまざまな東映作品でプロデューサーとして活躍してきた白倉さんですが、異色だった作品はありますか?

白倉:結果的にではありますが、2002年に放送された『仮面ライダー龍騎』は、かなり異色の作品になったと思います。この作品は、アメリカの同時多発テロ事件(9.11)の直後に企画されたんです。当時、テレビ朝日さんから「9.11後の世界情勢を踏まえて、子どもたちに向けた新しいヒーロー像を提示してほしい」というオーダーをいただいたんですよ。そこで私たちは、それまでの企画を一度白紙に戻し、従来の「正義のヒーロー対悪の組織」という二元論的な構図から脱却することにしました。代わりに採用したのが、13人のライダーがバトルロイヤル形式で戦うという設定です。『仮面ライダー龍騎』の世界では、13人のライダーの間に明確な善悪の区別はありません。ヒーローでありながら、それぞれが自分なりの正義感や事情を抱えて戦っているんです。中には殺人鬼を彷彿させるキャラクターもいれば、愛する人を守るために戦うキャラクターもいる。まさに現実世界と同じように、多様な価値観がグラデーションで交錯する世界を描こうとしたんです。お互いを理解し合えるかどうかはわからない。でも、各々に事情があり、考え方がある。だからこそ、そういった背景を知ることが大切なんじゃないか。最終的には戦わなければならない状況になるかもしれないけれど……というのが、『仮面ライダー龍騎』の根底にあるメッセージですね。手前味噌ではありますが、『仮面ライダー龍騎』以前と以後でヒーローものの作り方が変わったと言われるほどなんです。私自身、『仮面ライダー龍騎』の影響力の大きさには驚かされましたね。

ーー13人もいると、人気も割れそうですね。

白倉:主人公が一番人気だったんですけど、そのほかのキャラクターだと「仮面ライダー王蛇(オウジャ)」の人気には目を見張りました。「王蛇」は、歴代ライダーの中でも最凶最悪と呼ばれるダークヒーローなんです。地方ロケをしたんですが、もう大勢の子どもたちが集まってきて。「王蛇」のおもちゃを握りしめている子もたくさんいて、あまりの人気ぶりに私もびっくりしました。演じている役者本人も驚いていて(笑)。悪いとか悪くないとか関係なく、「とにかく強い」ところに子どもたちはしびれちゃったんでしょうね。

白倉伸一郎

ーーちなみに、白倉さんご自身が東映作品の中で魅力的に感じている悪役は?

白倉:私は東映ヒーローっ子だったので、『人造人間キカイダー』という作品が印象に残っています。1972年頃の作品ですから、かなり昔のものですけどね。この作品には、機械の身体を持つヒーロー「キカイダー」が登場します。そして物語の後半、キカイダーのライバルとしてロボットの「ハカイダー」が登場するんです。「ハカイダー(破壊だ)」なんて、ふざけた名前ですけど(笑)、これがものすごいインパクトだったんですよ。「ハカイダー」は、主人公の「キカイダー」を殺しに来る殺し屋なんです。しかもロボットなので、人の心を持っていない。善悪の判断もない。ひたすら強いだけの存在なんですね。ただ、この「キカイダー」と「ハカイダー」の関係性が、その後の東映ヒーロー作品におけるライバルキャラクターの系譜に大きな影響を与えたんじゃないかな。「ハカイダー」が当時すごく人気があったので、そのイメージを意識したキャラクターがその後もたくさん登場していきましたから。『人造人間キカイダー』以来、ほかの作品でも主人公と敵側に同じような存在を置く“対立構造”が続いたんですよね。

ヒーロー作品の世界展開の課題は「文化の違い」

ーー視聴者の子どもたちに向けて、作品作りの中で心がけていることは何ですか?

白倉:子どもたちの作品の消費サイクルは、どんどん早くなってきていると感じています。だからこそ、長期的な視点を持って作品作りに臨む必要があると考えています。まず大切なのは、子どもたちに作品に興味を持ってもらうこと。個人的な意見ですが、「王蛇」の例然り、子どもたちは大人から見て悪役だと思われるキャラクターでも、“圧倒的な強さ”に惹かれるところがあるんですよね。だからこそ、ヒーローにしろ悪役にしろ、とにかく強く描くことが重要だと思います。でも同時に、キャラクターの人間性も大切にしたい。ライダーであれ敵であれ、彼らを一人の人間として丁寧に描く。子どもたちにはすぐには理解できないかもしれません。でも、作品を通して得た印象は、いつか子どもたちが成長した時に「あの時見た作品にはこんな意味があったんだ」と気づくきっかけになるはずなんです。そうやって子ども時代に種をまき、10年後、20年後に花を咲かせる。子どもの頃に一時的に観ていても、その後すぐに(作品のファンから)卒業してしまうかもしれない。でも、大人になって自分が子どもを持つ頃、ふと昔見た作品を思い出して、次の世代と一緒に楽しんでもらえたら……。そういう狙いもあります(笑)。

白倉伸一郎

ーー日本の特撮やアニメ作品を海外展開する上で、どのような課題がありますか?

白倉:とても難しい問題だと感じています。海外展開を考える上で、日本の作品をそのまま海外の人に観てもらうことも、アジア圏内ならある程度通用するでしょう。でも、欧米はもちろん、中南米やアフリカなど文化圏が全く異なる地域に行くと、作品の根底にあるコンセプトがまったく理解されないことがあるんです。 私たちキャラクター戦略部では、ヒーロー作品の世界展開をもっと本格的に進めていきたいと考えています。そのためには、文化の壁をどう乗り越えるかが重要なテーマになります。例えば、技術面や予算の問題以前に、「変身」というコンセプト自体が海外では通用しにくい。アメリカのヒーローものを見ると、ほとんどが着替えなんですよね。日本の「変身」は、ピカッと光って姿形が変わったり、なんなら体の大きさまで変わったりしますが、それ自体が欧米圏の人たちには理解されにくい。むしろ「現実離れしている」と反発を買う可能性すらあります。キャラクタービジュアルの違いもありますね。日本人は「目は心の窓」というように、日本だと変装っていうのは、目を出して口を隠すものです。いわゆる変装でつけるようなマスクや忍者もそうですよね。欧米では逆に、変装といえばバットマンのように目を隠して口を出すデザインが主流です。彼らは目ではなく口を見るから、口を隠すことは悪なんですよ。

ーーなるほど。

白倉:また、怪獣やクリーチャーのデザインについても課題があります。日本ではアニミズムや妖怪文化の影響もあり、「からかさ小僧」などの擬人化されたキャラクターも受け入れられやすいのですが、欧米では動物を起点にしたクリーチャーでないと理解されにくい傾向にあります。もちろん、『ゴジラ』のように文化の垣根を越えてヒットする作品もあります。ただ、それはあくまで一例であって、あらゆる作品に当てはまるわけではない。私たちにとっては当たり前の表現も、異文化の中では予想外の反応を呼ぶかもしれません。大切なのは、相手の何が障壁になっているのか、一つ一つ見極めていくこと。その上で勝負をかける時は、思い切ってかけていくことだと思っています。

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