『ふてほど』最終回は“まとまり過ぎない”ことを期待 重要だった「八嶋智人」の“違和感”

『ふてほど』最終回、宮藤官九郎への期待

 令和の厳しいコンプライアンスをするりとくぐり抜けて、不適切な文言や事象をこれでもかと並べ立てても、怒られるどころか喝采された宮藤官九郎脚本の金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)がいよいよ最終回を迎える。

 最終回の直前の第9話は、小川市郎(阿部サダヲ)の義理の息子にあたるゆずる(古田新太)の歌と踊りが渾身で、たったひとりの娘・渚(仲里依紗)を守りたい一身の父の心が、純子(河合優実)を愛する市郎に火をつけた気がした。

 第3話で、市郎に好きな人ができたと察知し「死んでる人(市郎の亡き妻で純子の母)と生きてる人は対等じゃないし」と純子が父への気遣いを込めて言ったとき、その後、市郎が「(令和から昭和に)必ず帰ってくるからな」と言って「当たり前じゃん親なんだから」と純子が返したときには思いもしなかったルートに差し掛かっている。いま改めてそのシーンを観ると、その深さにドキリとなる。

 情報量過多なドラマではあったが、根底を貫くのはシンプルに親子愛なのだろう。第9話のゆずるのひとりミュージカルに限らず、「みんな誰かの娘なんだ」という市郎が歌った第3話、「私はまだ17歳♪」と純子が清らかな歌声を披露した第5話と、まだ何者にもなっていない子供がいかに尊く守られるべきものかということを描いてきた。が、それはそれ、これはこれで、劇中随所に見え隠れする、昭和生まれの男子ばかりの部活のようなノリを批判する声もある(もともとそういうのが支持されていた作家なのだもの)。

 お断りテロップ等によってうまいこと批判を回避したようで、どうしてもこぼれる不適切な部分を見逃さなかった見巧者もいるのである。そのほうが、昨今、求められる議論や対話を深めることになる。異論反論が出たほうが作品としてはいいだろう。第一、『不適切にもほどがある!』という題名なのだから、「不適切!」という声が出たほうが面白い、などと書くとこれもまた「不適切」かもしれない。

 社会問題をたくさん盛り込んだことで、逆に個々の内容を深めることができず、指摘される隙ができたことが想定内なのか外なのかわからない。第1話から、ワンオペ育児、各種ハラスメント、SNS、タイパ、コスパ、マッチングアプリ……と様々な問題が、昭和と比較するようにしてこれでもかと取り上げられてきた。第9話では妊活、ご近所のゴミ捨て問題まで。

 筆者は社会問題の専門家ではなく、ドラマを取材する専門家なので、そちらの視点から原稿を書く。昭和と令和の価値観はこんなにも変わった、ということを最初のうちは、うんうんと共感しながら観たものの、正直、第1、2話を観た時点でやや、親切過ぎるように感じていた。それが、第3話、八嶋智人が本人役で出て、虚実入り乱れた回がエンタメとして完成度が高かったので、これならきっと大丈夫と思って観進めた。第5話の古田新太と錦戸亮が同一人物であることの面白さと、彼らの歌のしんみり感のギャップにも満足した。

 それが第6話で、うさんくさい人気ドラマ作家・エモケン(池田成志)が出てきたところから、さすがにサービス過剰ではないかという思いが強くなってきたのだ。「たったひとりの孤独な人間に向かって書いている」と嘯くエモケンによるドラマづくりの話がはじまると、みんな大好き業界裏話的なものになる。伏線回収の是非や、 観てない人に限ってSNSで騒ぐとか若い世代はタイパを重視し全体を観ていないとか、SNSで話題になりやすいことがじつに流暢にドラマのなかに盛り込まれていく。すべてがあまりに正論すぎるのだ。

 まさに観てない人のためにSNSで話題になる情報を徹底的に盛り込んでいる努力は買いたい。また、社会問題のみならず、宮藤官九郎ドラマファンにもサービスするように、これまでの作品を思わせるところも随所に入れているように感じた。野球や人生のタイムリミットは『木更津キャッツアイ』(TBS系)、震災は『あまちゃん』(NHK総合)、ふたつの時代を舞台にすることは『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(NHK総合)、タイムスリップバスは映画『1秒先の彼』、新世代と大人世代の確執は『ゆとりですがなにか』(日本テレビ系)、出た小泉今日子、出てきそうで出てこない尾美としのり、『離婚しようよ』(Netflix)で共作した大石静と、咲坂サカエ役の吉田羊の『光る君へ』(NHK総合)、ムッチと秋津役の磯村勇斗と栗田役の山本耕史の『きのう何食べた?』(テレビ東京)等々、枚挙に暇がない。

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