『ブギウギ』はなぜ“勝負”を真正面から描かなかった? 朝ドラが向き合う“多様性”の現在
アユミとスズ子の違いを、誰かに客観的に語らせることで、歌合戦の勝負の妙味がぐっと盛り上がるはずだ。『ガラスの仮面』がいい例で、たいてい誰かがヒロインの何がすごいか滔々と語っている。そしてこれは、受け手が期待していることに応えていることでもあるのだ。観客は期待した展開、期待したセリフを「待ってました」と楽しみたいものなのだ。それが純粋な感動でもいいし、皮肉めいた笑いでも、それはどちらでもよくて、明確な手応えがほしい。櫻井は『マルモのおきて』(フジテレビ系)や『あなたのブツが、ここに』(NHK総合)などでその要望に見事に応えてきた。
ところが足立紳はそうしない。ことごとく外してくる。受け手があらかじめ予想できるようなことを描く必要はないと思っているかのように。アユミとスズ子の歌と踊りのなかにしか真実はないとでもいうように。だから、歌以外の部分のドラマ性が希薄である。例えば、アユミはなぜ、初の紅白で他人の楽曲を歌うのかも説明がない(説明はドラマではないが)。鮫島の記事を一時停止して読むと、持ち歌がない、レコードを出していない、と書いてある。ほんとうにまだド新人で、他者の歌を歌って(例えばのど自慢などで)注目されたということなのかもしれない。第119話でスズ子は、アユミのレコードを探すがみつからず、代わりに「ラッパと娘」を聞く。レコードがみつからないのもそのはずで、記事によればレコードを出していないのだから。
断片的な情報を注意してかき集めれば、物語の世界がぐっと深まる。それはそれでインタラクティブな楽しみ方ではあるが、わかる人だけわかればいい情報と、ドラマを見た誰もが等しく知っていたほうがいい情報の精査ははたして適切か、そこは問われる部分ではある。
だが、朝ドラなら当たり前というような、ヒューマンドラマや芸能ものにありがちな使い尽くされた表現を使い続ければいいというものでもないだろう。そういう意味で、足立のようなセオリーを外してくるアプローチもときには必要だ。というか、足立にとっては外している意識もないのではないかとも思える。
多様性とは、ジェンダーや身体的な個性に限ったことではない。真の多様性とは、彼のような表現も受け入れることであろう。ただ、足立の出世作である映画『百円の恋』(2014年)は勝負を扱った作品でもあり、そこでは勝負とは何たるか、手応えをしっかり描いているのだが。
勝つか負けるか挑むか逃げるかについて、とりとめのない会話を朝晩、繰り返すスズ子たちの描写は、正解を絶対に出さないように気を配っているようにも見えた。だがそれは老若男女が気楽に観られる枠で放送する作品としては、ある種、リアル過ぎたような。これほど挑戦的な脚本を通したNHKは本気で多様性に向き合っていると言ってもいいのではないだろうか。
■放送情報
NHK連続テレビ小説『ブギウギ』
総合:午前8:00〜8:15、(再放送)12:45〜13:00
BSプレミアム・BS4K:7:30〜7:45、(再放送)11:00 〜11:15
出演:趣里、水上恒司、草彅剛、蒼井優、菊地凛子、生瀬勝久、小雪、水川あさみ、柳葉敏郎ほか
語り:高瀬耕造(NHK大阪放送局アナウンサー)
脚本:足立紳、櫻井剛
制作統括:福岡利武、櫻井壮一
プロデューサー:橋爪國臣
演出:福井充広、鈴木航、二見大輔、泉並敬眞、盆子原誠ほか
音楽:服部隆之
主題歌:中納良恵 さかいゆう 趣里 「ハッピー☆ブギ」
写真提供=NHK
公式サイト:https://nhk.jp/boogie