『光る君へ』吉高由里子が“走る”ことで動く物語 大石静の紡ぎ出す平安時代に釘付け

吉高由里子が“走る”ことで動く『光る君へ』

 「縛られても、必ず縄を切って出ていきます」と、NHK大河ドラマ『光る君へ』第2話において、吉高由里子演じるまひろ(紫式部)は言った。彼女はまるで、鳥のようだ。第1話において、鳥籠から逃げ出して、大空に飛び立っていった鳥と同じく、彼女もまた、何にも縛られない。

 『光る君へ』が始まった。大石静脚本に加え、チーフプロデューサーの内田ゆき、チーフ演出の中島由貴、音楽の冬野ユミと、『スカーレット』(NHK総合)チームが手掛ける作品でもある本作は、これまで放送の3話分だけでも、絵巻そのもののように、煌びやかで豪華絢爛でありながら、その内側から登場人物たちの確かな息遣いが聴こえてくるようだ。

 とりわけ、その時代を生きていた女性たちの苦悩や葛藤が、現代を生きている私たちの日々の思いと地続きだと感じる時、「物語」をこよなく愛し、突き動かされるようにひた走るヒロイン・まひろの、これから始まる人生の物語を、視聴者は我が事のように捉えずにはいられない。

 登場人物たちが本当にそこで生きているような気がするというのは、脚本・演出が優れているというのももちろんだが、演者の力がより大きい。同じく大石静脚本でもある『知らなくていいコト』(日本テレビ系)においても共演していた吉高由里子と柄本佑は、特にそうだ。

 例えば、第2話における、まひろに草履を履かせる仕草、語り掛ける口調。一切の力みのない柄本佑が演じる三郎(藤原道長)のその姿は、視聴者の「時代劇(それも平安時代の)を観ている」ことに対する、思わず身構えてしまうような心持ちを一瞬にして奪う。その瞬間、藤原道長という歴史上の人物は、「どこかに、確かにいる人」として、視聴者の中で息づきはじめる。もしかしたら、それが彼の「色気」の所以なのかもしれない。

『光る君へ』第2話

 一方、吉高由里子が演じる人物はいつも、登場の瞬間から人の心を捉えて離さない。彼女が声を発した瞬間、その役柄に命の火が灯り、物語が始まるのがはっきりと分かる。さらには、朝ドラ『花子とアン』(NHK総合)の村岡花子をはじめ、彼女が演じることによって「生きて」きた役柄の歴史は、そのまま、彼女の中に蓄積されて、多層的に重なり合って、彼女がそこにいるような気がしてならないのだ。吉高が伊藤野枝を演じた『風よ あらしよ』(NHK BSプレミアム)においてもそうだ。仮祝言の衣装に身を包んだ彼女の姿と、「吹けよ、あれよ風よ、あらしよ」という台詞から始まった、吉高演じる伊藤野枝の、不本意な縁談話から逃れ、田舎を飛び出して波乱の人生にひた走っていく物語においても、彼女は、現代にも通じる女性の生きづらさに対して全身で抗うかのようだった。それはどこか、本作における吉高・まひろの登場場面と通じるところがある。

『光る君へ』第2回

 まひろの最初の台詞は、「うわぁ、重っ」だった。それから彼女は言う。「人はなぜ、こんなにも儀式が好きなのでしょう」。貴族の女性にとっての成人の儀式である裳着のために、裳を身に着けた際の言葉だ。その衣装は美しい。美しいと同時に、その後宣孝(佐々木蔵之介)が言うところの「婿も取れるし、子も産める」一人前となった証でもあった。だから彼女は、成人したことへの嬉しさよりも、どことなく不安げな表情を浮かべている。まるでそれが、何にも縛られない自由な鳥であるところの彼女の動きを封じ込める枷であるかのように。

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