宮﨑駿『君たちはどう生きるか』は高畑勲からの解放だった 『プロフェッショナル』を観て

『君たちはどう生きるか』にある高畑勲の影

虚構からの解放、現実への帰還

 「いつも片思い」。宮﨑駿と高畑勲との関係は、『もののけ姫』でサン役を務めた石田ゆり子のナレーションで、そんなふうに伝えられる。好きすぎるあまりに、パクさん(高畑勲の愛称)の筆跡を真似する。寵愛を受けた近藤喜文に嫉妬する。『風の谷のナウシカ』(1984年)では彼をプロデューサーという難役に指名し、青春を捧げた彼に復讐を果たそうとする。そして告別式では、「55年前に、あの雨上がりのバス停で声をかけてくれた」と大粒の涙を流す。愛憎半ばする感情。高畑がこの世からいなくなっても、「パクさんと話をしたい」と呟く。

 このドキュメンタリーでは、『君たちはどう生きるか』に登場する大伯父が、高畑勲その人であったことが明かされる。大伯父と呼ばれるその人物は、塔の上に棲まう老賢人。13個の積み木によって、“下の世界”の均衡を保ち続けている。そして本編の主人公・眞人に、その役目を引き継ぐことを願い出るのだ。公開当時、「下の世界とはスタジオジブリそのものではないか?」、「大伯父は宮﨑駿で、眞人はその実の息子である宮崎吾朗なのではないか?」という考察が溢れまくった。だが、みんな「均衡を守る役目を引き継ぐことができるのは、自分の血を引いた者しかいない」という大伯父の言葉に騙されていた。それは、高畑映画の正統継承者は自分であるという、強烈な自負だったのである。

 高畑勲にとって初めてとなる監督作品『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)にアニメーターとして参加したときから、おそらく彼はずっとその想いを抱き続けていた。そして、タタリ神によって死の呪いを受けてしまったアシタカのように、宮﨑駿も高畑勲という怪物にとって、アニメという呪いを受けてしまったのである。鈴木敏夫が言うところの、「宮さんにとってはね、映画の中が現実なのよ。現実の世の中は虚構だよね」という不思議な実存感覚は、その瞬間にインストールされてしまったものなのかもしれない。

 番組のラスト近く、宮﨑駿は大伯父役の火野正平に、粘り強く執拗に、あるセリフを何度も言わせている。

「眞人、時の回廊に行け。自分の時に戻れ」

 大伯父=高畑勲は、眞人=宮﨑駿に対して、上の世界=現実に還るように伝える。すでにこの世にはいない高畑勲を召喚させることで、宮﨑駿はアニメという呪いから解き放たれようとする。作品というものは多かれ少なかれ、誰よりもまず作家自身が治癒される機能を持つものだが、『君たちはどう生きるか』はまさしく、解放のための映画だったのかもしれない。いくら引退宣言しても、そのたびにアニメーションの世界へとまた引き摺り込まれてしまう、恐ろしい呪いからの。

 果たして、その呪縛から宮﨑は自由になれたのか。作画監督の本田雄は「次やらないと言っているけど、やるんじゃないですかね」と語っている。そしてスタジオジブリには、サギ男のモデルとなった男がまだいる。プロデューサーの鈴木敏夫だ。眞人を下の世界へ誘ったように、鈴木敏夫も宮﨑駿にアニメーションの世界への扉をまた開けてしまうかもしれない。それは我々映画ファンにとって、このうえなく幸せなことだ。宮﨑自身にとって幸福なのか、不幸なのかは、もはやさっぱり分からないけれど。

■配信情報
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
NHKオンデマンド、NHK+にて配信中

■公開情報
『君たちはどう生きるか』
全国公開中
出演:山時聡真(眞人)、菅田将暉(青サギ ・ サギ男)、柴咲コウ(キリコ)、あいみょん(ヒミ)、木村佳乃(夏子)、木村拓哉(勝一)、大竹しのぶ(あいこ)、竹下景子(いずみ)、風吹ジュン(うたこ)、阿川佐和子(えりこ)、滝沢カレン(ワラワラ)、國村隼(インコ大王)、小林薫(老ペリカン)、火野正平(大伯父)
原作・脚本・監督:宮﨑駿
音楽:久石譲
主題歌:米津玄師「地球儀」
製作:スタジオジブリ
配給:東宝
©2023 Studio Ghibli

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