『彼方の閃光』はなぜ“5分間の暗闇”から始まるのか? 半野喜弘監督が明かす制作過程

『彼方の閃光』半野喜弘監督が明かす製作過程

 世界を舞台に活躍する音楽家である半野喜弘が、映像界にとって非常に挑戦的な映画を監督として完成させた。眞栄田郷敦を主演に迎え、原案・監督を務めた『彼方の閃光』だ。写真家・東松照明の作品に魅せられた主人公が、戦争の爪痕を残す長崎・沖縄に導かれるように旅立ち、そこでさまざまな感情を湧き上がらせる物語。

 冒頭から約5分に渡り、真っ暗闇からスタートするという映画界の常識からは大きく外れた映画を作り出した意図はどこにあるのかーー。半野監督が作品に込めた思いを語った。

出口を決めずに始まったプロジェクト

半野喜弘

 2022年10月に開催された東京国際映画祭のレッドカーペットイベント。本作の主演を務めた眞栄田は「この作品の配給はまだ決まっていません」と語り、注目を集めた。そこから1年を経て、12月8日に劇場公開を果たした本作。半野監督はこの1年についての経緯を語る前に、企画のあらましを説明する。

「映画というものは、芸術的な側面と娯楽の要素を持ち合わせています。どちらもすごく大事なものではあるのですが、僕たちが目指したのは、たくさんの観客に楽しんでもらうことが前提の作品とは違うベクトルでした。その意味で“出口”、言い換えるなら公開されるという大前提を脇に置いて、自分たちが表現したいものを縛る要素を取り除き、映画の中の自由を追及したんです」

 こうした半野監督の思いに、木城愼也プロデューサーをはじめとしたスタッフ・キャストが賛同し、作品づくりが始まった。劇場公開されるために、という発想ではないところからのスタートだ。

「1年前に眞栄田さんが『配給が決まっていない』と話しましたが、そもそも彼も含めて私たちの前提がそこにはなかったんです。僕たちがまず良いと思うものを作ろう。それができたなら、次のステップとして劇場で観てもらえるような準備をしよう、と」

映画の常識を覆す制作過程

 こうした背景のなか始まった作品づくり。もう一つ他の映画とは異なるのが制作過程だ。作品のテーマやストーリーテリングからのスタートではなく、アートコンセプトから作品が芽を出したというのだ。

「映画というメディアがどういうものかという根本を考えたとき、ストーリーや役者の演技というもの以前に、真っ暗闇の中で光が映写されるということが、映画に対する人の最大の高揚感だと思ったんです。要するに、光を映写しなければ、映画は始まらない。何も見えないところから、映画を始めるというアイデアがこの映画の出発点です。人間というのは視覚的なものを遮断されることによって、脳の処理能力が他の感覚に振り分けられ、聴覚や皮膚感覚が研ぎ澄まされる。それを音響施設の素晴らしい劇場で届けたいという思いで、劇場探しをしました」

 眞栄田演じる主人公の光は、幼いころに視力を失い、手術に成功したものの、色彩を感じることはできない。こうした設定も、「暗闇の中から映画を始める」というアートコンセプトから生まれたというのだ。

「暗闇の必然性をどう創るか考えたとき、視力を失った少年を主人公に据えれば、主観の映像として表現できると考えつきました。さらにその少年が、僕たちが日常だと感じている世界を手に入れるまでの物語にしようというストーリーラインが決まっていきました」

 さらに、そんな光が東松照明の写真に魅せられ、第二次世界大戦中の日本が経験した惨劇が写し出された地を巡るというストーリーが肉付けされた。

「最初の段階では東松照明さんの写真というのはまったく頭になかったんです。光が視覚を失い、その後モノクロの世界になって、最後に色を得る……というなかで、光が行動するモチベーションとなるものを探していたんです。そんなとき、東松さんの『太陽の鉛筆』『<11時02分>NAGASAKI』という写真集に出会い、僕の求めているものが見つかったと確信しました。その中の写真に導かれるように長崎、沖縄という場所が浮かび上がり、戦争や基地問題、原子力、放射能の問題へと脚本が広がっていきました」

 最初に出来上がった脚本は、約270ページという大作。そのまま上映するなら、確実に4時間以上になってしまうものだった。出口を決めずに書き上げたものの、予算を含めて“作品を完成させる”という意味での調整は必要になった。

「単純に最初の脚本を映像化した場合、最低でも3~4カ月、40~50人のスタッフを稼働させなければなりません。しかも長崎、沖縄という移動もある。完全に予算の折り合いはつきません。さらに、何時間もぶっ続けで観てもらうのは、脳のカロリー消費とのバランスを考えると難しい。脚本の整理は必要になりました」

モノクロ映像へのこだわり

 出来上がった作品は169分。それでも現在のシネコンを中心とした上映形態のなかでは、圧倒的に長い。しかし、光という人間の色彩の移り変わりを表現するには、必然の時間だという。

「光は最初真っ暗闇の中からスタートし、モノクロの視覚を得て、最後には鮮やかな色彩を手に入れます。それを観客に体感していただくには、必要な時間なんです。色彩豊かなものが、どれだけ美しいものなのかを再び体感してもらうためには、モノクロとして必要な映像は90分でもダメ、120分でもダメ。もしかしたら最初の構想の4時間でもだめだと思う。僕たちが作った映画の169分というのが、ベストな時間だと思っています」

 暗闇から続くモノクロームな世界。撮影監督の池田直矢との綿密なやり取りにより「若者のぶつかり合いの情熱」を活写した。

「生々しい映像が撮れたと思っています。色彩というものを排除することで、色の情報に取られてしまっている脳のカロリーを転化することができる。モノクロのシーンでは友部(池内博之)が膨大なセリフを言うシーンがありますが、カラーだったらいろいろな情報を受け取りすぎて、理解できないかもしれない。映像に集中してもらうという意味でも、モノクロというのは有効な手段だと思います。不思議な力強さもあります」

 そしてもう一つ、ロケーションにも半野監督のこだわりがある。

「原爆や沖縄戦の話を伝える際、一番観客の心に届くのは、その時代の話にすることだと思うんです。でもいま僕たちが生きている世界で、それを体感することが重要だと考えました。だから、ロケーションをする際も、この作品をご覧になった人たちが、その地を訪れることができる場所にしようと思ったんです。今回撮影させていただいた、轟の壕などは特別な許可がなくても赴くことができる場所です。私たちの日常というテーブルに戦争や平和という事象を並べることが重要でした。つまり、恋愛、セックス、葛藤、挫折、歓喜、それらと同列に扱うということが大切だと思っています。特別な遠いものにしてはいけないんです。戦争は終わっていません、今も私たちのすぐそばにあります。それが現代から戦争と平和を希求する構造にした理由です。この考え方は、光、友部、詠美の恋愛を同時に描いていることにも繋がります」

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