アネット・ベニング×ジョディ・フォスターの名共演 『ナイアド』に得る“生き方”のヒント
ダイアナ・ナイアドは自身の名字“Nyad”のルーツについて何度も得意げに話す。ギリシャ神話に登場する“水の精霊”。名は体を表すとはまさに彼女のこと。ナイアドは2013年、64歳にしてフロリダ海峡165キロを泳いだマラソンスイマーだ。そんな彼女の偉業に迫る映画『ナイアド 〜その決意は海を越える〜』がNetflixで配信されている。オリジナル企画が枯渇したハリウッドが安易にアカデミー賞を狙う伝記・実録映画の類と思うかもしれないが、今年65歳を迎えたアネット・ベニング、60歳のジョディ・フォスターという2大女優が老境をフィルムに刻む共演は見逃せないものがある。
ナイアドは映画の主人公にうってつけの強烈なキャラクターだ。カプリ島〜ナポリ横断の世界記録を保持、オンタリオ湖51キロを横断、26歳でマンハッタン島一周の新記録を達成。バハマ〜フロリダ間143キロを泳ぎ切り、ついにキューバからマイアミまで165キロの遠泳に挑むも、失敗。30歳で引退すると、以後はスポーツキャスターに転身した。饒舌で、人を惹きつけずにはいられない真正の人たらし。自身のルーツと数々の冒険談は彼女を知る者にとってお馴染みの“武勇伝”だ。そんな彼女が60歳を迎え、自身の内でくすぶっていた何かに気づく。人間、いつかは死を迎える。何も成さず、平凡なまま人生を終えていいのか? 老いも若きも誰もが抱く葛藤だが、60歳を迎えると途端に年齢の壁が立ちはだかる。海流の荒いフロリダ海峡はサメやクラゲの脅威が絶えず、絶頂期のアスリートでも遠泳は容易ではない。しかしナイアドには海より大きいプライドと周囲を巻き込む荒々しいまでのバイタリティがあった。「何かに没頭したくない? 目標や使命に魂を燃やすの!」。ナイアドの他人より秀でていたいという自尊心、自分が熱中していない、身をさらけ出していないことに対する怒りにも似た闘争心をアネット・ベニングは体現することに成功している。これまで4度アカデミー賞にノミネートされながら(ここには『20センチュリー・ウーマン』は含まれていない!)、無冠の名優は過酷な水中撮影にも挑む奮演。大混戦が予想される主演女優賞レースに力強く泳ぎ出している。
監督のジミー・チン、エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィは極限状況へ挑戦するアスリートたちを追ってきたドキュメンタリー作家。アカデミー賞にも輝いた『フリーソロ』では、ヨセミテ公園にそびえ立つ970メートルの断崖絶壁“エル・キャピタン”を命綱なしで完登するアレックス・オノルドに密着。ナイアドに比べるとオノルドはずっと控え目でシャイな青年に見えるが、秘めたる闘争心はまったく同じだ。フリークライミングを「極めて個人的な活動」と言い、恋人や家族を顧みることなく命の危険と隣り合わせの登頂に没頭する。彼もまた、生きている実感を得るために挑み続けているのだ。この映画では自身もクライマーであるジミー・チン率いる撮影隊が、いかにして登頂者の集中力を妨げることなくカメラに収めるか腐心し、ついには撮影日を決めないままオノルドの登頂が始まる。本作の撮影を通じて天才と凡人の対比、踏み込むことのできない領域が示されているのだ。続く2021年の『THE RESCUE 奇跡を起こした者たち』では、タイの洞窟に閉じ込められた少年サッカーチーム13名の救出事件を再現。翌年、ロン・ハワード監督がパニックレスキュー映画として『13人の命』のタイトルで劇映画化しているが、チンとヴァサルヘリィは救助にあたるケーブ(洞窟)ダイバーの心理に注目した。暗黒の洞窟に潜る彼らの並外れた冷静さは所謂ランナーズハイの状態にも近く、事件の顛末を追いながら一種のスポーツドキュメンタリーにもなっている。監督コンビは限られた者だけが到達し得る、アスリートの精神世界に迫ろうとしているのだ。
『ナイアド』はそんな“スイマーズハイ”にあるナイアドの心理状態を描こうとしている。160キロ超に及ぶ遠泳中、無心のナイアドはいくつもの言語で数をかぞえ、脳裏にはおそらく愛聴してきたであろうポップソングがこだまする。体力の疲労は彼女に不思議な幻覚を見せ、中には少女時代に水泳コーチから受けた性的虐待の記憶もフラッシュバックする。暗く冷たい海で聞こえるのは自分自身の心の反響であり、それは人間の内なる宇宙とも言うべき神秘的な空間だ。