『唄う六人の女』妖艶で美的な描写の“必然性” 泉鏡花『高野聖』との重なりから考察
本作の監督である石橋義正は、マネキンを人物に見立てたミニシリーズ『オー!マイキー』を過去に手がけているが、そこで扱っていた“作りものの世界”という要素を、本作の核となる六人の女たちの示す虚構性や象徴性と重ね、部分的に引き継いでいるものがあるように感じられる。
そんな本作の物語は、途中から大きな転換を見せて、ジャンルを破壊すらする勢いで、ある境地へとたどり着くことになる。それを描くために必要とするのが、雄大な自然の姿なのである。奈良や京都で撮影したとされる、人の手が長年入り込んでいない原生林の光景は、たしかに人智の及ばない力を感じさせるものだ。(※)
この点では、宮﨑駿監督の『となりのトトロ』(1988年)や『もののけ姫』(1997年)における、やはりアニミズムをベースに、森の持つ神秘的な力をトトロや“こだま(木霊)”というキャラクターに託した試みが思い出される。そして同時に、柳町光男監督、中上健次脚本による映画『火まつり』(1985年)が描いたように、森の自然に神秘性が宿っていることで、人間に行動を促すといった現象もまた、自覚的にしろ無自覚的にしろ、本作がなぞっている部分だと考えられるのだ。
ここまで書いてきたように、本作が繋がりを見せる作品群は、いまのトレンドとは少しズレた性質を持っているように思える。しかし、現在世界が直面している深刻な諸問題と、多くの人々がそれを自分とは関係のない事柄として麻痺してしまっている状況を考えれば、むしろこれらの作品こそ、いま一度観られるべきであり読み返されるべきものなのではないかという思いにとらわれる。そういった気持ちを喚起させることが、本作の役割でもあるのだろう。
その思いや責任感はおそらく、監督自身に渦巻いているものであり、自身の安全や利益よりも、目の前で起ころうとしている暴挙に対して行動を起こそうとする、本作の主人公・萱島の人間性とも共通しているはずである。それは自らの保身を優先させ、長いものに巻かれることが当世風だとする時代への、一種のカウンターでもあると感じられる。
人々が目を逸らしがちな問題を、耽美的なアプローチで独創的に表現した本作は、紛れもなく作り手が強い意志や覚悟を持たなければ存在し得ない、作家主義的なものに仕上がっているといえよう。そしてその独創性やメッセージ性の強さゆえに、観客を選んでしまう部分もあるのかもしれない。しかし、このように作り手の思いを前面に押し出していくアグレッシブな姿勢こそ、いま日本映画界に求められているものなのではないか。本作『唄う六人の女』には、現代に失われつつある熱気が、確かに備わっているのである。
参考
※ https://kansai.pia.co.jp/interview/cinema/2022-06/utau-onna.html
■公開情報
『唄う六人の女』
10月27日(金)より、TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国ロードショー
出演:竹野内豊、山田孝之、水川あさみ、アオイヤマダ、服部樹咲、萩原みのり、桃果、武田玲奈、大西信満、植木祥平、下京慶子、鈴木聖奈、津田寛治、白川和子、竹中直人
監督・脚本・編集:石橋義正
脚本:大谷洋介
音楽:加藤賢二、坂本秀一
主題歌:NAQT VANE「NIGHTINGALE」(avex trax)
制作プロダクション:クープ/コンチネンタルサーカスピクチャーズ
制作協力:and pictures
配給:ナカチカピクチャーズ/パルコ
©2023「唄う六人の女」製作委員会