バカリズム×松田龍平による最高のコメディ 『ケンシロウによろしく』が“運命的に”面白い
「松田龍平なら大丈夫だ」
筆者は胸を撫で下ろした。
なにが大丈夫なのかと言うと、松田龍平なら、ジャスミン・ギュ原作『ケンシロウによろしく』の主人公・沼倉孝一役を任せられるということだ。
主人公・沼倉孝一は、母を奪ったヤクザ・木村(中村獅童)を殺すために北斗神拳を学び(独学)、ケンシロウを目指していたら、なぜか超一流のマッサージ師になっていたという男だ。
4つの国家資格を取り(人の金で)、都内にマッサージ店も開業した(人の金で)。
ケンシロウなのだから当然初体験はユリアと決めているため、40歳を過ぎても童貞である。
このように全方位的にバカで、「男前なのにバカだから童貞」みたいな役柄がもっとも似合う役者、それが松田龍平だ。
松田龍平は、どんなに真面目にシリアスな芝居をしていても、心の中では「ハンバーグたべたいなあ」とか考えているように見えるのだ。
決して見開かれることのない細い目、あまり活躍しない表情筋、抑揚の少ないセリフ回し。決してディスっているわけではない。これらの要素は、ハードボイルドな役を演じる上では大きな武器でもある。
だが、このような要素がもっとも活きるのは、“シュールかつバカな役”を演じる時だ。
例えば、『恋の門』という映画がある。大人計画の松尾スズキの初監督作である、コメディ映画の傑作だ。
“石で漫画を描くことに執着する自称漫画芸術家”というのが、松田龍平の役柄である。もちろん、バカで童貞だ。バカで童貞の役に、“松田優作の息子”という超サラブレッドを抜擢した松尾スズキの先見の明は、さすがである。
この作品が素晴らしい理由は、全力で、命を懸けて、誠心誠意バカをやっているところだ。その姿勢の真摯さには、笑いを通り越して感動すら覚える。
バカは、真剣にやるからこそ価値がある。監督や演者が、ゆる~くヘラヘラしながら「バカっぽく」見せているだけの映画やドラマには、1円の価値もない。2004年公開の『恋の門』から20年近く経った2023年、やっと全力でバカをやっている映像作品を観ることができた。
それが、9月22日からDMM TVにて配信される、『ケンシロウによろしく』である。しかも主人公を演じるのは、『恋の門』の松田龍平だ。さすがDMM様、よくわかっていらっしゃる。
そして、脚本はバカリズムだ。完璧じゃないか。
ヤンキー漫画の世界観をそのままOL社会に持ってきた、映画『地獄の花園』の振り切り具合。あれはまさに、命懸けのバカだった。
またバカリズムは、同じく脚本を担当した映画『ウェディング・ハイ』において、あのEXILEの岩田剛典にウンコを漏らさせた男でもある。
この作品中の岩田剛典も、「男前でバカ」である。「見るからにバカっぽいバカ」より、「男前なのにバカ」な方が、より純度の高いバカと言える。「バカっぽいバカ」を見ても、「ああ、見た目通りのバカなのね」としか思わない。だが「男前なのにバカ」を見ると、その落差による喜劇性、ひいては悲劇性まで醸し出してしまう。
これは筆者の想像だが、「自らの脚本作にEXILEが出る」と聞いたバカリズムは、あえてウンコを漏らすシーンを書き足したのではないだろうか。「ウンコを漏らすEXILE」というシチュエーションには、男の浪漫をかき立てずにはいられない何かがある。
かと思えば、2022年冬ドラマで放送された『ブラッシュアップライフ』(日本テレビ系)のように、笑わせて最後には泣かせるような、そんなホンも書いてしまうのだ、バカリズムは。このドラマにおける、リアルで自然な会話の中にさりげなく挟み込まれた笑いには、中毒性があった。安藤サクラと夏帆と木南晴夏の「どうでもいい雑談」を、永遠に聞いていたい。
だが、今作『ケンシロウによろしく』の会話には、そんな“自然さ”は微塵もない。
この2つのドラマは同じコメディでありながら、ひとりの脚本家が書いたとは思えないぐらいに趣きが違う。「シリアスもコメディも書ける」という脚本家はいる。だが、「まったくテイストの違う笑い」を書き分けられる脚本家は、稀有な存在なのではないか。