『らんまん』田邊彰久は朝ドラ史に残る人物に 要潤が演じきった“もうひとりの主人公”
朝ドラ『らんまん』(NHK総合)における田邊彰久とは一体何だったのか。
田邊教授(要潤)の登場時、彼がここまで人間の持つさまざまな面を体現し、主人公と複雑な関係を築くキャラクターになるとは思ってもいなかった。せいぜい、小学校中退ながら流暢に英語を操り、フィールドワークで得た植物の知識を有する万太郎(神木隆之介)のことを面白がって東大植物学教室への出入りを許し、のちに万太郎にとって大きな障害となる人物……程度としか認識できていなかったからである。
だが、そんな予想を大きく裏切り、田邊は本作中盤において、単純な悪役でも、主役を導く師でもなく、槙野万太郎と対をなす第二の主人公として物語に存在した。
日本で最初に米国・コーネル大学で植物学を学び、国内における植物学の始祖となった田邊教授。女子教育の必要性を訴え、クラシック音楽とシェイクスピアを愛し、文部大臣の覚えもめでたい超エリート。本来であれば他者に対して劣等感など抱くはずもない彼が唯一恐れ、羨み、そして嫉妬し憎んだのが万太郎である。
万太郎は植物に対し純粋に「おまんら、かわいいのう」と近づき、心の底から楽しんで草花と対峙する。そこに学閥や出世欲など存在しようがない。だが田邊は違う。教授としての仕事や政府での役目、大学内の政治的なしがらみに忙殺される中、彼にとっての植物学は情熱をエネルギーに深く突き詰める学問でなく、自らの立場を確立するための手段となってしまった。だから田邊は植物に愛された天才を自らの手中に収めようとした。天才を自由に操ることで秀才が天才に勝とうとしたのである。
専属プラントハンターの固辞から新種・ムジナモの論文の一件で田邊は万太郎に東大植物学教室への出入り禁止を言い渡す。論文を田邊との共著に直し、許しを請うため田邊邸を訪れた万太郎にシダが茂る月明かりの下で彼はふと本音を漏らす「私はもう、持たざるものは数えない」。
田邊は知ってしまったのだ。「~しなければならない」との義務感で植物学に接している自分は「~したくてたまらない」と目を輝かせ草花と対話する万太郎の前に倒れる敗者であることを。目の前の青年が植物に花を咲かせる太陽であるならば、自分は闇夜でシダを照らす月でしかないことを。
万太郎との決別から3年後、順風満帆だった田邊は大きな渦に巻き込まれていく。後ろ盾であった文部大臣・森有礼(橋本さとし)の死により女子高等学校校長職を罷免され、妻・聡子(中田青渚)の励ましと愛情を受けての再出発、海外のデータに頼らず日本国内の研究で植物学を発展させていくとの高らかな宣言、そしてふたたび熱をもって植物学に向き合う中で出会い自らの名を冠した新種・キレンゲショウマの発表。偶然同時期に万太郎も同じ花を調べていたとはなんという運命の交差か……だが、この時、秀才は天才に先んじたのだ。
ここで冒頭の一文の答えを書きたい。田邊彰久とは私たちである。もちろん、私たちの多くはエリートでも秀才でもない。が、社会的な義務感でがんじがらめになり、大人の事情で人生を翻弄され、自分が本当は何をしたいのかがわからなくなる日々の中、楽しみながら結果を出す他者の活躍を目の当たりにして嫉妬し傷つくさまは彼と同じだ。