コロナ禍を描くアクションノワール『ブラッドハウンド』 タイトルに込められた意味とは?
既報のように、本作はヒョンジュ役のキム・セロンが飲酒運転事故を起こしたことで降板し、全8話の終盤を大幅に撮り直す災難に見舞われた。「初めて会った時からヒョンジュそのものだった」とキム・ジュファン監督が振り返るように、たしかにこのドラマの中でのキム・セロンは別格の存在感だった。マニッシュな出で立ちで狡猾な闇金業者に一人で切り込んでいく度胸に、彼女の出世作『冬の小鳥』から変わらぬいたいけなさが入り交じって完成されたヒョンジュというキャラクターは、唯一無二のタフネスとしなやかさがあったからだ。
しかしこの不運な交代劇で、我々視聴者はダミン(チョン・ダウン)というパワフルなキャラクターと、彼女の躍動を目撃することになった。チェ社長を側近として支えるオ氏(ミン・ギョンジン)は、ミョンギルを追い詰めるべく策を練るゴヌとホジンのため、孫娘ダミンに命じて彼女のオフィステルを2人に提供させる。年頃の女の子らしく振る舞うダミンだが、オがミョンギルに誘拐されたことを知ると豹変。ミョンギルの手下からの脅迫電話にも顔色を変えることなく「あんたをぶっ殺す」と凄み、アーチェリー韓国代表のスキルを生かして敵陣に乗り込む。ゴヌやホジンも呆気に取られるほど肝が据わっていて、実に爽快だ。ダミンの設定は、『グエムル-漢江の怪物-』(2006年)でペ・ドゥナが演じたアーチェリー選手ナムジュのキャラクターが少なからず影響しているという。終盤で繰り広げられる格闘シークエンスは、ゴヌとホジンによるボクシングをベースにした「横」のアクションに、ダミンが上から敵を目がけて矢を射る「縦」の遠距離アクションが加わり、空間をダイナミックに映す見事なものとなった。
ノワールのエッセンスのひとつは暴力だ。『ブラッドハウンド』でも様々な暴力が行使されるが、言ってしまえば母を守ろうとするゴヌの拳も暴力であることは否めないのだ。ゴヌは相手の懐に突撃して間合いを詰めるインファイト型ボクサーで、パッキャオを尊敬し、「諦めない心」こそがボクサーの精神だと語る。タイトルの『ブラッドハウンド』(原題は「猟犬たち」を意味する)は金さえ積まれれば汚い仕事もやる取り立て屋の隠語だ。母の借金返済のために縋った貸金業者から“猟犬”として働くことを提案されたゴヌは、ボクサーの精神をよりどころに「取り立てはお金のために人を殴るチンピラだからダメだ」と拒絶する。靴のつま先に刃物を仕込む卑怯なスタイルのミョンギルの暴力とゴヌの暴力を、悪と正義に分けて考えることもできる。『ブラッドハウンド』はそうした安易な方へは行かず、最終的に人を痛めつける手段を取らざるを得なくなったゴヌに「僕は猟犬になったのかも」と重い一言を言わせる。フィクションでは暴力はエンターテインメントだが、現実では無法で排他的な力に過ぎないからだ。そこで「またボクサーに戻ればいい」と語りかけるウジンの存在が救いになる。相手からのパンチが届かない長い距離を保ちつつ攻撃する機会をうかがい、チャンスで一気に攻め立てるという全く違うファイトスタイルの彼とバディを組んだことが強く効いたハイライトシーンだ。タイトル通りの猟犬になることを彼らは拒み、ドラマは終幕する。
『ブラッドハウンド』シーズン2の構想を尋ねられたキム・ジュファン監督は、キャラクターを中心に描いた上でのアクションドラマができるかもしれないと含みを持たせた。パンデミックで新たに現れた闇の中で、猟犬として拳を振るわなければならなかったゴヌとウジン。願わくは、彼らの拳が血に染まることがない、平凡なファイターとしての姿が見たい。
■配信情報
『ブラッドハウンド』
Netflixにて配信中
出演:ウ・ドファン、イ・サンイ、ホ・ジュノ
原作・制作:キム・ジュファン