『ワイスピ』を洗練させた『ファイヤーブースト』 整合性の向こう側へのドライブ

『ファイヤーブースト』は再確認的傑作

 あらすじは映画を紹介するにあたって面白さを判断する指針の一つになるのは言うまでもない。しかし、世の中にはあらすじを書こうにもどうしようもないものがある。理路整然としていなかったり、かなり視覚的だったり、そもそもストーリーラインがめちゃくちゃだったり。そういった作品でも珠玉の傑作が存在するのが映画というものの懐の大きさだろう。そして『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』は間違いなくそういった類の作品だ。理路整然としていないし、かなり視覚的だし、ストーリーラインもしっちゃかめっちゃかだ。まさにあらすじを書いてもどうにもならない作品であり……珠玉の傑作である。

 車と筋肉とファミリーとBBQの『ワイスピ』シリーズもついに10作目(スピンオフ映画を含めれば11本!)。累計興行収入70億ドルを突破するほどの人気を誇るが、これほど紆余曲折を重ねた映画シリーズもなかなかない。当初はストリートレースと相反する男二人の絆の映画だった『ワイスピ』だが、気が付けば世界を救ったり宇宙へ行ったり、街中で中性子爆弾が爆発したりしている。良く言えば作品に幅があり、悪く言えば一貫性がない。近年はヴィン・ディーゼルがやたらシリアスな顔でムッツリする一方ですごく大馬鹿なアクションをやっており、正直どっちつかずな印象を受けた。制作もゴタゴタしており、ヴィン・ディーゼルとドウェイン・ジョンソンが不仲だったりする一方で、本作の撮影中に『ワイスピ』シリーズをアクション超大作に仕立て上げた大人物ジャスティン・リン監督が降板している(こちらは円満に降板したそうだが)。そうして撮影中にもかかわらず急遽監督を務めることになったのがルイ・レテリエだ。

 『ワイスピ』の大ファンだというルイ・レテリエは、本作を撮るにあたって真面目にある問いに向き合ったように思う。それはすなわち「『ワイスピ』とはなにか?」だ。一貫性のないシリーズを外部のオタク的視点で見るとき、その問いは避けられなかったのだろう。もちろん答えは「『ワイスピ』とは車とファミリーの映画である」に決まっているのだが、その問いを最終章のタイミングで改めて出したのは重要なことのように思える。そして「『ワイスピ』とはなにか?」を突き詰めた結果「車で全てを解決する時代は終わった」というわけのわからなさすぎる台詞が飛び出すが、逆に言えば『ワイスピ』は車で全てを解決しなければならない、ということなのだ。

 つまり『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』とは原点回帰作ではなく、再確認的大傑作である。「『ワイスピ』とはなにか?」「『ワイスピ』の魅力とはなにか?」そういったものをひとつひとつ再確認し、そして洗練させている。整合性や物理法則が破綻しているのに「洗練」とはおかしな話だが、これは車とファミリーを真摯に突き詰め洗練させた結果としての破綻なのだ。またそういった破綻や常軌を逸した展開に「おかしいぞ?」と思う前に車とファミリーと筋肉と爆発が脳にぶち込まれるため、気にならなくなる。そしてそれ自体も『ワイスピ』ということなのだ。どう考えても歪な映画だが(それは一貫性なきシリーズの姿かたちそのものである)、その歪さがドライブ感……すなわちファイヤーがブーストしているような感覚を与える。

 あらすじを書いてもどうしようもならないと先述したが、なにも『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』の筋書きにフックがないと言っているわけではない。ただ文字数を重ねれば重ねるほど混迷をきたしてくるというだけだ。例えば「中性子爆弾がローマで爆発して、死者数が0だった」と説明して、一体誰が「なるほど」となるだろうか。映画を観ても「なるほど」とはならなかったので、文章で説明されてもなおさらだ。なので『ワイルド・スピード/ファイヤーブースト』のあらすじは一言で説明するのに限る。つまり「ギャルですごくマッシヴなジョーカーであるジェイソン・モモアがヴィン・ディーゼルと戦うファイヤーがブーストする映画」ということだ。

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