『らんまん』はなぜ“安心感”のある朝ドラに? 視聴者の思いと重なる寿恵子の言葉

『らんまん』なぜ“安心感”のある朝ドラに?

 万太郎(神木隆之介)、東京へーー。植物研究の価値を世に知らしめたいという大望を持って進む金色の道。その相棒は竹雄(志尊淳)である。万太郎と竹雄が主従関係ではなく「相棒」になった第6週では、物語が新たなフェーズに入ったことを感じる。

 人間には上も下もない。平等なのだという考えを実践していくふたり。そう、理屈だけではなく実践が重要なのである。この手の物語はどうしても、言葉が先に立ち言葉の聞き心地だけで満足して終わってしまいがちだが、『らんまん』はそうではない。有言実行している。実行の「実」、実現の「実」。『らんまん』には「実」がある。その一例は、植物。第6週のサブタイトルは「ドクダミ」、第1週は「バイカオウレン」。これらは日陰に咲く植物である。

 こういう一見、見逃しがちな植物に着目していることと、万太郎がどんなひとも平等に扱われるべきと考えて実行していることとが見事に重なっている。

 日の当たらないクサ長屋に群生するドクダミ。いやなニオイを放ち、名前に「ドク」とあるので忌み嫌われる植物だが、万太郎は、「ドクダミ」の由来はドクだからではなく毒消しになるからで、薬草としての効果があると長屋の人々に語る。

 「クサ長屋」と世間から軽視され、みんなが住みたいと思わないような場所に、万太郎は良さを見出す。古くても汚くても気にならない。研究に最適な場所と思うのだ。また、住む人々はひとりひとり、仕事を持ち、個性を持った、気のいい人たちで、万太郎はお坊ちゃんにもかかわらず、皆とすぐに馴染む。

 ただひとり、問題な人物がいる。標本を盗んだ倉木隼人(大東駿介)である。万太郎はそんな人物に対してさえ、穏便に解決を図ろうとする。そして、彼の信念である「雑草という草はない」と言い、自分が植物のひとつひとつの特性と名前を定めていくのだとまたまた宣言するのだ。倉木は、飲んだくれて博打に興じる、朝ドラ名物ダメ男のようでありながら、実は戊辰戦争によって心に傷(背中にも)を負っているらしい。第30話の時点では倉木の失われた尊厳が万太郎との出会いによって取り戻されていきそうな雰囲気が漂っていた。

 『らんまん』とは、植物を通して、尊厳を奪われた人々を救っていく英雄譚のようである。自由民権運動には関わらなかったが、万太郎なりの自由と民権の運動を実行しているのだ。といって、万太郎は完全無欠のヒーローではない。世間知らずで経済観念のないお坊ちゃん。「ダメ若」(第25話)とまで言われていたし、湯水のようにお金を使ってしまい、竹雄に「峰屋は若の財布ではない」(第29話)と窘められる。

 ここでは元主人と従者の逆転が起きて、竹雄のほうが強く見える。主人公が裕福な家から旅立ち、倹約生活をはじめ、従者は従者ではなくなりむしろ上から目線になる。こういった構図は、好まれる物語のパターンのひとつ・貴種流離譚的ともいえるだろう。

 『らんまん』は最近の朝ドラマが手放しはじめた物語の原点に帰ったかのような構成で、秩序を取り戻した安心感がある。これもこの数年、コロナ禍によって秩序が混乱したことによる物語の崩壊から日常が戻ってきたことの現れなのかもしれない。いずれにしても、主人公が恵まれた環境を捨て大海に出て、不自由をしながら何者かになるという長い主軸に、週毎に誰かと出会い、その人物が何者で何を考え何を行ったか、主人公が記憶に刻みこんでいくことで、永遠の命(歴史に残る)を得るという短い軸を連ドラ形式に挿入することで、極めて観やすい安心感のある構成になっている。

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