『ブラッシュアップライフ』は優れた“テレビドラマ論”だ ありふれた無数の愛おしい“今”
ドラマ『ブラッシュアップライフ』(日本テレビ系)を観ていると、思わず考える。自分ならどうするかと。そして無数の「あったかもしれない人生」を想像したりもする。でも、麻美(安藤サクラ)と真里(水川あさみ)が人生を「ブラッシュアップ」していくことによって、彼女たちの人生の物語の中から零れ落ちてしまった「過去ですらない過去」がどんなに愛おしいものであったかを見ていると、こうも思うのだ。私たちの生きる「今」こそが、捨てがたい過去の集積による、愛おしい「今」なのだと。
バカリズムが脚本を手掛ける本作は、安藤サクラ演じる近藤麻美が、「人間」に生まれ変わるため、最終的には友人たちを救うため、人生をもう1度どころか、5回やり直す物語だ。壮大な世界観の中で、『架空OL日記』(読売テレビ・日本テレビ系)を手掛けたバカリズムならではの日常の描写の緻密さと、それを体現する優れた俳優たちの自然な演技が光る、実に贅沢で見事なドラマである。また、主人公と世代の近い視聴者としてはやはり、物語を彩るJ-POPの数々や当時流行していたものの羅列含め、「懐かしい」という感情抜きには語れない。
本作は、麻美が「徳を積む」過程で、様々な人生を謳歌する物語であると同時に、それによって失われてしまったものの愛おしさを描く物語でもある。本稿は特に、この「失われてしまったもの」について言及する。例えば、真里が夏希(夏帆)と美穂(木南晴夏)を救おうと自分の人生を大幅に軌道修正して2周目を生きたことが麻美の思わぬ交通事故死を招いてしまったように。人生を繰り返せるから、未来を知っているから、人生イージーモードかと言うと決してそういうことはなくて、どんなに経験を積もうが、何かを得れば何かを失い、時に予想もつかない悲劇に見舞われることもあるという人間の常は永遠に変わらないし、世界は彼女たちの行動が多少変化したところでビクともしないほど大きいのだということを、本作は至って冷静に描いてもいる。
「あの時過ごした時間も、交わした言葉も全て、過去ですらなくなってしまった」とは、第2話において、2周目の人生で違う学部を選択したために関わることがなくなってしまった元彼である田邊(松坂桃李)の姿を学食で見かけ、思わず目で追う麻美のモノローグだが、終盤に向かうにつれて、その言葉はより真に迫っていく。特に第8話における、麻美の知らない、真里の1周目の記憶が語られる場面において、これまで描かれてきた仲良し3人組のエピソードに、真里が加わった時だ。それは、麻美にとっても、それまで「近藤麻美の人生」を4周分見てきた視聴者にとっても、それこそ「過去ですらない」存在しない物語であるために、その光景は、一際切なく、輝いて見えた。
だからこそ、第9話において、その4人が1つのテーブルを囲んだ時、言い知れぬ感動を覚えるのだ。なぜならそれは、タイムリープを続けてきた2人がその結果失ってしまった友情を取り戻すという壮大な物語の結実であるだけでなく、「仲間にいーれて」と勇気を出して話しかけたら「仲良くなれた! よかった!」と喜ぶ小さな子供の頃の記憶の延長線上のような、あまりにも些細でありふれた、幸せな出来事が組み合わさった、奇跡の瞬間だったからだ。そしてそれは、「壮大なスケールで日常を描く」本作のまさに真骨頂だった。