ヴィム・ヴェンダースは「遅れてきたヌーヴェルヴァーグ」? 宇野維正×森直人が語り合う
ヴェンダース作品の魅力は純朴な佇まい
ーーあと、ヴェンダースって最初から一貫して、「物語」を映像で表現するのではなく、映像から「物語」を立ち上げていくタイプの監督だったような気がしていて……。
森:まさしく。『さすらい』なんかはその極点で、初期設定だけまず決めて、あとは撮影しながら脚本を書いて、半分即興的に撮っていくスタイルだったらしいですよ。前日に脚本を書いて、それをもとに今日撮りますみたいな。その繰り返しで作っていった映画。だから「旅」の流動性が、そのまま映画のボディになっている。
ーーそう考えると、原作ものがあまり得意ではなく、ある時期からドキュメンタリーを並行して撮っていくようになったのも、ある意味納得がいくというか。あくまでも、映像によって「物語」を紡いでいくという。そこはある意味、最初から一貫していますよね。
森:正直、「物語」の構築が苦手なタイプだと思いますね。『まわり道』はゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』がベースなんですけど、脚本はペーター・ハントケだし、『パリ、テキサス』の脚本はサム・シェパードだし。『パリ、テキサス』や『アメリカ、家族のいる風景』(2005年)は、半分ジェパードの個性の作品とも言える。「書ける作家」に頼んでいる場合も多いし、ヴェンダース自身は明らかに「脚本の人」ではないですよね。
宇野:なるほどね。で、『ベルリン・天使の詩』で当たったあと、でっかいスケールの映画を撮るようになって……『夢の涯てまでも』の脚本は、ヴェンダースの単独クレジットなんだ? それは、無理だよね(笑)。
森:(笑)。
宇野:けど、彼がその後、ドキュメンタリーとかの仕事の比重を増やしていったのは、それに関して、ある種学んで自覚したっていうのもあるんじゃないですか。今さら他人の脚本で撮るぐらいだったら、自分の撮りたいものを撮るよっていう。そういうのはあったのかもしれない。でも、脚本が書けないっていうのは、ホントそうだよね。すごく生真面目な感じがするのに、どこかホワンとした感じがあるというか。
森:確かに、ホワンとしているっていうのはある(笑)。そこは、さっきも言いましたけど、ヌーヴェルヴァーグのフランス人監督たちと違うというか、フランス的知性の「鋭さ」みたいなものからは結構遠い。その、どこか純朴な佇まいはヴェンダースの魅力でもありますけどね。
宇野:それこそ、以前ここで取り上げたエリック・ロメールとかだって、実はものすごく理詰めだったりするじゃん。脚本自体、ものすごく精巧にできているし。ヴェンダースにはそういうのはないよね。もっと観念的というか、雰囲気で持っていく感じがある。ただ、ヴェンダースが侮れないのは、その根っ子にちゃんと、彼なりの映画に対する「愛」とか「哲学」みたいなものがあって、ただのムードじゃないんだよね。内実が伴ったムードだっていう。
ーーわかります。車とか電車とか乗り物のシーンは、どの作品を観ても惚れ惚れするほどカッコ良いですし……。
森:そう。乗り物に対する感度は、ホントすごいですよね。「乗り物フェチ」ランキングだとヴェンダースは映画史上でもトップクラスだと思う。そしてどこで撮っても、アメリカっぽい風景になる(笑)。『都市の夏/キンクスに捧ぐ』(1970年)とか、ヴェンダースと初期からよく組んでいた撮影監督、ロビー・ミュラーの力も大きい。
ーーロードムービー三部作と、『パリ、テキサス』、あと『夢の涯てまでも』の撮影が、ロビー・ミュラーなんですよね。
森:『パリ、テキサス』のあと、ロビー・ミュラーは、ジャームッシュとも組むんですよね。『ダウン・バイ・ロー』(1986年)、『ミステリー・トレイン』(1989年)……。それでもヴェンダースとは長期でコラボしましたけど、意外に代表作でも別のカメラマンを使ってたりする。
宇野:あ、『ベルリン・天使の詩』って、ロビー・ミュラーじゃなかったっけ?
ーー『ベルリン・天使の詩』の撮影監督は、フランスのアンリ・アルカンが担当してます。
宇野:そっか、ロビー・ミュラーってそのあとラース・フォン・トリアーと組んで『奇跡の海』(1996年)とか『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年)を撮るわけだから、それはそれですごい撮影監督だよね。あと、今回配信される作品のラインナップに『666号室』(1982年)が入っててびっくりした。
ーー『666号室』は、1982年に製作されたテレビドキュメンタリーで、ジャン=リュックゴダール、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、ヴェルナー・ヘルツォーク、スティーヴン・スピルバーグ、ミケランジェロ・アントニオーニなど、錚々たる監督たちが出演してます。これは結構レアな作品ですよね?
森:そうですよね。日本では、DVDとかでしか観られなかったんじゃないかな? 1982年のカンヌ国際映画祭に参加した監督たちが、カンヌのホテルの一室にひとりずつ呼ばれて、「映画とは失われつつある言語で、死にかけている芸術か?」というたったひとつの質問に対して自由に応えるっていう。や、これは今観ても、すごい面白かったですよ。
宇野:45分だから、ひとりひとりの時間は結構短いんだ?
森:人によって結構時間はバラバラで……最初に登場するゴダールとかは、例の調子で結構ベラベラしゃべっていて(笑)。シネアストそれぞれの個性がめちゃくちゃよく出ているんですよね。まさに今、宇野さんが本を書いている「映画の終焉」みたいなテーマの原型みたいなところがあるので、宇野さんには是非観てほしいです。
宇野:ようやくその本が書き終わりそうで。新書なのにメチャクチャ時間がかかった(笑)。でも、あの頃って、テレビやビデオに対する恐怖みたいなものが多くの映画人の中にあったけど、今から思えば、あれは何だったんだろう……。
森:確かに(笑)。でも、それを配信とかに置き換えると、まんま今と同じような話だなって。
宇野:なるほどね。まあ、映画とビデオの関係については、ゴダールもすごく意識的だったし、それこそヴェンダースは、『都市とモードのビデオノート』っていうタイトルの作品も撮っているわけで。だから、その対象がたまたま山本耀司だったりしたけど、あれはあれで、ヴェンダースにとっては、ひとつの手法としての実験だったのかもしれないよね。
ーーそれを言ったら、全国の劇場を回って映写機の修復をする主人公を描いた『さすらい』の時点から、「終わりゆく映画」みたいなテーマは、ヴェンダースの中でずっとあるような……。
森:まさにそう思います。『さすらい』と『666号室』のテーマは、ほぼ同じというか、明らかに連続していますよね。『さすらい』も「映画の死」及び「映画館の死」が、実はテーマになっていたわけで。
宇野:『さすらい』が1976年か……その頃のドイツの映画作家の問題意識としては、相当早いよね。その頃は、ゴダールも商業映画と決別していた時期だし、そういう問題意識が、各国の映画作家のあいだであったってことなんだろうね。まあけど、少なくとも産業としては『スター・ウォーズ』(1977年)の登場によって、一掃されちゃう問題意識ではあるんだけど。
森:だから、『666号室』のスピルバーグの話は、非常に面白かったですよ。自分はハリウッドきっての楽天主義者だって言っていて。あの人は「映画は大丈夫じゃない?」って、わりと呑気な感じで応えているんですよね(笑)。それはそれで大正解なことを、これ以降のスピルバーグ自身がばっちり証明していくわけですよ。
宇野:なるほど。
森:おそらく映画って、最新テクノロジーに通じた古典主義者がいちばん巧くいきやすいと思うんです。スピルバーグとか、あとジェームズ・キャメロンはまさにそうですよね。それに比べると、ヴェンダースとか、あと『666号室』にも登場していて、のちに『愛のめぐりあい』(1995年)でヴェンダースにサポートを頼むミケランジェロ・アントニオーニなんかは、テクノロジーの進化には非常に敏感なんだけど、それを前衛性の位相で捉えすぎて、やたらナイーブな感じになっちゃう。ある種、ゴダールもそうかもしれないけど。だから、さっき話に出た「遅れてきたヌーヴェルヴァーグ」というのが、ヴェンダースの作家規定として最も正確だと思います。映画の撮影現場を題材にした『ことの次第』のような露骨な形だけじゃなく、ある意味「映画についての映画」みたいなものを、ずっと描き続けてきた作家。「すべての映画はすでに撮られている」っていう「映画の死」みたいなところから、ポスト・ヌーヴェルヴァーグ的な監督としての自意識過剰が全部立ち上がっているという。そういう前提が、やっぱりヴェンダースには色濃くあると思うんです。
宇野:そうだね。だからまあ、基本的に悲観主義者だよね。『ベルリン・天使の詩』の「天使」の造形が、まさにそうだけど(笑)。それに比べて、スピルバーグは楽天主義者だっていうのは、まさにそういう感じでさ。じゃなきゃ、『フェイブルマンズ』(2022年)みたいな映画は撮れないよ(笑)。
森:確かに(笑)。『フェイブルマンズ』は天才の自己言及的な、まさに破格の特殊な名作ですね。
宇野:けどさ、ヴェンダースの場合、その一方で「手法」に対する興味もずっとあって。前回の話と重複しちゃうけど、結局彼のハイビジョンに対する興味みたいなものが『夢の涯てまでも』に繋がっていくわけじゃない? だから、手法に対して意識的過ぎるがゆえに、楽天的に映画を撮り続けられなかったっていうのは、ちょっとあるんじゃないかな。
森:それはホント、そう思う。
宇野:だけどさ……全部早いのよ。俺、最近のヴェンダース作品でいちばん好きなのは、今回のラインナップには入ってないけど、『エンド・オブ・バイオレンス』(1997年)で。あれは「監視カメラ」っていうメディアに対する問題意識を描いた映画だったわけじゃないですか。それを1997年に撮るって、やっぱ早すぎでしょ(笑)。
森:早いですよね。そのぶんこなれてないというか、ナイーブな形で出ちゃうんですよ。
宇野:けど、それって今となっては、顔認証とかも含めて大問題になっているわけじゃん。それを、スピルバーグの『マイノリティ・リポート』(2002年)よりも、全然早くやっていて。だから、ヴェンダースは、カメラとか、そういうテクノロジーに対する意識が、一貫して高いんだよね。本当はアート映画の作家として、いちばん力を発揮するのに、本人の意識がテクノロジーに行き過ぎて……そこでちょっと引き裂かれているような感じがある。
森:そうですね。ヴェンダースは、ある種時代を先取って、テクノロジーの尖端に並走しようとするがゆえに、自分の資質と乖離を起こしてしまう感じが確かにあるんですよね。僕、ヴェンダースの真面目な近作というのは、どれも頭でっかちに見えちゃうんです。だからフィルモグラフィが全然安定しないところがあって……。
宇野:っていうか、ヴェンダースって、もちろん傑作も多いけど、失敗作も結構も多いよね。1本、2本ならまだしも、複数の失敗作がある。しかも、それなりに規模の大きい映画だっていう。そんなの今だったら、普通に終わるじゃん。
森:そうですよね(笑)。いまの新人や若手だと、簡単にチャンスを失いますよね。でもヴェンダースは、豪華キャストを集めて地味で真面目な映画を作って、結構派手にコケまくってるのに、しっかりサヴァイヴできているもんなあ。
宇野:だから、悲観主義だったかもしれないけど、彼は言っても、いい時代を駆け抜けたんですよ。
森:そう思います。特に1970年代の初期ヴェンダースは魔法が掛かっている。
ーーただ……多少の浮き沈みはあったにせよ、これだけ長い期間にわたって世界的に注目されてきたドイツの監督って、ヴェンダース以外いないですよね?
宇野:確かに、ドイツって少ないかも。単発の作品はあるけど、継続的に話題になるような監督は、ヴェンダース以降、ほとんど出てきてないかもしれない。
森:言われてみたら、そうかも。ヴェンダース、ファスビンダー、ヘルツォーク……あとフォルカー・シュレンドルフとか、いずれも大物はニュージャーマンシネマの世代の監督で。以降はパッと思いつかないですね。さっきは「辺境」とか失礼な言い方しましたけど、う~ん……ベルリン国際映画祭を抱える国なのになあ。
宇野:そうだよね。ベルリン国際映画祭とかって、いまだにそれなりの権威があったりするわけでしょ?
森:もちろん結構なもんですよ。比較的若手で有名なドイツの監督というと、ファティ・アキン(1973年生まれ)とかになるのかな。そう考えるとヴェンダースのキャリアは、ドイツ映画界にとっても桁違いの成功例と言えますよね。
宇野:まあ、けど、今日の話のポイントは、いろいろあったけど、この時代のヴェンダース、『パリ、テキサス』ぐらいまでのヴェンダースは、文句なしにすごいよねって話ですよ。
森:文句なしにすごいと思います。これから再評価で高騰するかもしれないヴェンダースですから(笑)、未体験の方々には、この機会にぜひご覧いただきたいと強く願います。
■配信情報
レトロスペクティブ:ヴィム・ヴェンダース part1
『緋文字』※
『都会のアリス』【レストア版】
『まわり道』【4Kレストア版】
『さすらい』【4Kレストア版】
『アメリカの友人』【4Kレストア版】
『ニックス・ムービー/水上の稲妻』※
『ことの次第』【4Kレストア版】
ザ・シネマメンバーズにて配信中、ザ・シネマにて3月に放送(※印作品を除く)
レトロスペクティブ:ヴィム・ヴェンダース part2
『666号室』※
『東京画』【レストア版】
『都市とモードのビデオノート』【4Kレストア版】
『ベルリンのリュミエール』※
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』
ザ・シネマメンバーズにて3月より配信、ザ・シネマにて4月に放送(※印作品を除く)
レトロスペクティブ:ヴィム・ヴェンダース part3
『パリ、テキサス』
『ベルリン・天使の詩』
『時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!』
『夢の涯てまでも』【ディレクターズカット・4Kレストア版】
『アメリカ、家族のいる風景』
ザ・シネマメンバーズにて4月より配信、ザ・シネマにて5月に放送
ザ・シネマメンバーズ公式サイト:https://members.thecinema.jp/
ザ・シネマ公式サイト:https://www.thecinema.jp/